津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

井戸を掘ろう

2011-03-14 22:32:30 | 徒然

 「ぶらタモリ」ではなかったかと思うが、東京の下町の路地に手押しポンプの井戸があった。これが現役で使われていた。当然の事ながら飲料などで使われては居ないのだろうが、路地の水まきや、草木の水遣りなどには使われているのだろう。子供達の生活の中にも入り込んでいるような印象を受けた。
かっては一般家庭に存在したこのての井戸が全く姿を消した。
今では外国で井戸をほる活動で喜ばれている方も居られる。
蛇口をひねれば当たり前に水を得られる現在の生活だが、計画送電とやらで電気が止まると、下手をすると水道はストップしてしまう。ましてや地震・津波の被害地では道路は寸断され、給水車も入り込めないで水の重要さがクローズアップしてきた。水道だけにたよらない給水を考える時が来ているのではないか。
私は小学校単位くらいで、手押しポンプ式の井戸を準備すべきだとかねがね考えていた。(つるべ式でも良い) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E6%8A%BC%E3%81%97%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%97
非常用資材が置かれた倉庫が設けられている場所は絶対掘るべきだ。

熊本の地は水に恵まれていて、こんな話は馬鹿にされるけれども、教育的意味合いを含めて考慮すべきだと思っている。注意さえすれば素人でも掘れる。もう少し若ければ、「井戸を掘ろう活動」を興したいところだが・・・

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爺のたわごと

2011-03-14 17:07:37 | 徒然

 すっかりお化粧をし、ヘルメットをかぶった女性アナウンサーが、「ご注意下さい」と視聴者に向かって呼びかけていた。(スタジオも危険だったら、バックに居る全部の皆さんも被ればいかがですか。)
そしてあなたは誰に向かって叫んでいるのですか・・・
被災地ではあなたの声を受け止める手段がないのですよ・・・むなしい

 今朝TVをつけたらコマーシャルが飛び込んできた。
保険に旅行・マンション販売ときた。それはまずいだろうと思っていたら・・・暫くしたら消えた。どなたか噛み付いたのだろう。スポンサーが付かない報道番組は、お辛いでしょうが・・・
義捐金を呼びかけていらっしゃいますが、沢山の給料を貰っておられるらしいから、率先垂範沢山お出しになってください。

 東電は計画停電とやらで都市機能を一方的発表でストップさせるらしい。
福島原発では3号機も危ういという。非常発電の故障が生じたとき、早々の覚悟を決めて海水の注入など考えるべきではなかったのか・・・
もっとも故障に対する二の手、三の手は考えられなかったのか。電気屋が電気が故障では話にならないだろう。馬鹿馬鹿しくて苦笑してしまう。
そしてTVの解説に登場した専門家たちから、そんな提案の声は聞こえなかったように思う。
楽観論に過ぎた結果国家的非常事態となった。
東電首脳部はどうしている・・・・顔を出せ。

 TVの画面からタレントの声や姿が消えた。(しばらくゆっくりお休み下さい・・・)
これが数日後解禁になると、小ざかしくコメントを始めるのだろう。
芸能界のボスとか言う大物タレントさんなんぞは、その大いなる影響力を発揮して、身銭をきり仲間をつのり義捐金を集めるなど、先頭に立って頑張られたらいかがだろうか。数百万円の時計や数千万円の貴金属を身につけているタレントさんは、多いに義捐金を出されるべきだ。

 横綱白鵬が大量のインスタント食品を贈るとコメントした。
「お湯がないのによく考えて贈れ」と馬鹿が遠吠えしている。
こういう奴はPCの前に座り込んだままで、何にもせずにこういう馬鹿を云う。
町中に出て街頭募金でも始めろ。

 枝野氏が頑張っている。仙石でなくてよかった。年寄りでは身が持たない・・・・
菅さんも直接TVなどで多いに国民に話しかけるべきではないのか。
かっての市民派の顔じゃないなー。
(外国人からの献金問題の蔭が薄れて、ホッとしていたら・・・・・×)

 九州新幹線の全線開通は祝賀事業が全部ストップに成った。
案の定乗車率が悪い。ガラガラ状態だとも聞く。仕方がないことだが・・・・・
一方博多駅は大変な賑わいを見せているらしい。20数万人だとか
皆さん、街頭募金にご協力下さい。
一人100円で20万人だと・・・・2千万円ですよ、一月もやればすごいもんだ。 

 TV画面を見ていて気が付いた。自衛隊や消防、警察、地元消防団が集まって、地崩れの山から救出作業が行われている。ある自衛官の話を思い出した。救出作業は自衛隊が行い、対象者が発見されると自衛隊は後退してその後は消防の仕事、身元の確認や生死の確認などは警察が行うのだそうな。これは素晴らしい連携というべきなのか・・・ちょっと違う気がするけど・・・
 
 無事に避難した年老いたご婦人が、「長生きしすぎた、おかげでこんな目にあってしまった」と仰ったそうだ。(私は見ていないのだが)何と悲しい話だろうか。
「ご家族のためにも頑張ってください」という言葉が、なんと空しく聞こえることか。そのご家族が見つかる確率は・・・絶望的である。

 そんな中で南三陸町町長の生還は嬉しいニュースだった。まだ望みはある。
奇跡を信じて只祈るしかない。
 

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嘉永七年相州浦出陣東海道道中記(抜粋-安政大地震) -3

2011-03-14 10:15:14 | 歴史

                十一月五日
                尾州愛郡 名古屋城主六十万九千五百石 江戸八十六里廿一丁
                一宮、なるみ一里半一二丁 御用達大森仙左衛門
                  此処ニ八ツ比着船 桑名出船之砌者
                  役人より乗合人数改 船頭江賃銭
                  之外壱銭も渡不申候様之趣
                  重畳申渡候へとも是非仲中ニ而御
                  船玉江御神酒代等して少し充もらい
                  候故遣し候事 然ニ大森方ニ皆々
                  暫休いつれも熱田宮江参詣此社ハ
                  古太(ママ・織)田信長公今川義元公鳴海
                  御合戦之時御参詣被遊候御
                  宮之由ニ而御座候處 荒木・桜井
                  両人者宿ニ残り月代そり居り候處
                  アタマ半分覚ソリ居り候處
                  大ユリニ而勝而口より十四五間も間奥ニ
                  入込居り候故両人共ニ仰天いたし
                  其マヽ乱髪ニ而町江走出候処只々只々
                  ユリ方強ク又々老若男女顔色変じ
                  神仏江祈念之聲々ハゲ敷
                  世直し世直しと地ニ伏しトナへ半町計
                  ユリ日も早及暮候処御用達方裏
                  而より火事トヨバハリ候ニ付家ユリ
                  候中ニ荷物出火ニ逢候而者皆々
                  留守ニ而別而相済不申ト存両人
                  御用達手代四五人ニ而勝手ニ積置
                  候駄津ユラレナガラ外ノ様ナゲ
                  出し漸ク濱辺へ積置候處
                  又々つ波参り候と聢■■いたし
                  候故自然津波参候而者
                  難成と熱田宮馬場江御用達親類
                  候故此処ニ持越候様申聞候ニ付五六丁
                  計之処持越候処脇ニも皆々宮之様
                  持運ハコビ町中おし合へし合よふ
                  よふと荷物駕籠共ニ半分計持上
                  候得共宮参詣人々帰り不申
                  無人ニ而誠ニよふよふとハコヒ申候
                  処又々去ル人より濱手御用達之様
                  持かへし候様との儀ニ付猶持かへし
                  候而漸夕飯抔町中ニ而夕べ候処
                  無程沖ノ方ゴウゴウト海なり
                  するや津波来候ト一ドニどつと
                  さわぎ立親ハ子を負子ハ親を
                  負御宮ヲ差し而老若男女之なき
                  聲天地ヲサケビアハレ成事ニ而候
                  荒木桜井両人ハ大森方より彼方ソウ
                  ドヲノ内灯燈ニ火ヲ付ウスベリふとんヲ
                  取ようようと熱田宮江迯上り候
                  其夜松木之下ニ一夜明し市中之
                  人々社内廣キ故群集集致夜スカラ
                  火をタキ老若男女誠ニ見るニ
                  不忍哀レなる事筆紙ニ難盡
                一、宮之駅致而遊女多く有之処ニ而ユリ
                  不出前ハ所々楷ニ泊興之最中ニ而
                  藝古(ママ・子)舞(ママ・妓)遊女者勿論我をわす
                  れる泊興ニ乗しうたい舞
                  候中彼ノ地震ニ而皆々面見合セ
                  色を変しス呈ニテ迯出ス有サマ
                  前代未聞之事ニ而無之
                  此社ニ懸り石燈籠数多有之候得共
                  一トツモ倒不申アラタナル霊社ニ而候
                  宮宿之駅二合通り損し鳴滝の
                  方出切者四五十軒左右シヨキタヲシニ
                  タワレ候事 宮宿朝五ツ比出立
                尾州名古屋領
                一、鳴海 池鯉二里三十丁
                  此処山手ニ手至而軽クユリ格別家
                  損不申家財■敷出し野小屋懸
                  住居申候 宮より一り半之往還筋ハ
                  橋々損し小屋小屋数多候へとも茶屋
                  一軒モ無之仕度処なく            ・炊事場
                  桶狭間古戦場鳴海之先五日松ト云
                  処之先ニ往来筋壱丁計り右山テニ
                  入あり
                三州刈屋郡土井金三郎様一万三千石 江戸八十ニり
                一、池鯉鮒 岡崎三里三十丁
                  此処ニ昼仕度至当駅も
                  皆々門戸ヲ閉野住居候也
                一、矢矧橋弐百八間
                  此橋日本一之大橋之由 橋より岡崎
                  天守真向ニ見へ絶景也 此処ニテ
                  日本武尊御矢ハキ給由ニテ
                  矢矧ト云シヨシ 極て堅固ナル
                  橋ニ候得共二ヶ所地震之損クボミ候
                  尤矢矧ノ町ハ川端塘付ニテ
                  家数五百軒計崩損 間ニ者
                  メリ込言語道断之事候

                         (続) 

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