この道中記は、荒木村重の子孫と伝えられる荒尾の一領一匹の荒木慶右衛門が、相州警備のために出陣するに際して記したものである。(嘉永七年は十一月に安政に改元する)十月十六日集合した一同は山鹿(熊本県山鹿市)を出立した。豊前街道を陸路で上り中国路へ入り、上関から船路で大坂着後淀舟にて十一月朔日伏見に入った。名所旧跡などを見物したりしながら東上、十一月四日勢州亀山の縄手に入ったところで大地震に遭遇している。安政の大地震(安政東海地震 M8.4)である。
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(十一月四日)
地震縄手 並松左右沼アリ
此処通懸り当六月十四日地震ニ而亀山
御城ヤクラ 塀 カベ抔散々損し誠に
目を驚かし地震之噂抔いたし
所々損所見通り縄手並松左右ニ而
十丁計之処半分計通り懸候処
五ッ半比と覚いつ方となくゴヲゴヲト
ライ聲もおとりたる天地をさけび
よふなる変成音いたし往来之人々
顔見合而仰天いたし候中道■次第次第ニ
ユリ出し大地震ニなり暫ユリ人足
人馬皆々足踏留メ難成千鳥足ニ而
右よ左よと倒レ馬乗之人は
落馬致無残籠の人は籠よりぶり出し往還
筋前後足元之無差別壱尺
弐尺七八寸 五六寸幾筋か千々ニ引
割泥水吹上ケ往還に満水いたし通路之人馬
駄津うセながら倒れたすけ
呉れと喚嗁べ共たれとて助ル人モ
なし 私し共初皆々彼の割目ヲ
飛越■■■よふよふと並松ニ取付居
実ニ一命終り候と存神仏江祈念の
聲々あわただ敷旅人ハ世直し
世直しととなへし 聲々誠ニ身ニシミ
夢うつつともわからぬ不時之仰天ニ
候処猶並松よりユリハナサレ最者ヤ弥以
一命士中ニ割込レ候と心決仕其アハレ
言語同断をそろしきとも何れとも
言語難盡筆紙述候而又々並松ニ
よふよふと取付神仏江祈念仕候 漸
半時計りユリ次第ニ終候
(続)