これは去年の桜ですけど、こんな感じ
今日はお彼岸・春分の日、東北の被災地は朝方はまだ寒さが厳しいようだ。一日も早く暖かさが訪れるよう願うばかりである。熊本はといえば時折小雨もあってどんよりした一日、「桜の開花」も報道された。全国的に観光地は閑古鳥状態のようだが、新幹線が全線開通した九州もご多分にもれない。原発の状態も気にかかり、ただただ状況の好転を願うばかりである。
ベランダに置いたいろんな植物が時を知って芽を出し始めた。去年の夏の厳しさでやられてしまったものも在るが、紫や白のスミレが一輪ずつ花をつけた。
被災地に残った木々も、遅ればせながら美しい緑を取り戻すことだろう。
まちまちが復興の途に付くには、大変厳しい道のりだが、季節が巡って必ず美しい花々が咲き乱れることだろう。亡くなられた方々のご冥福を祈り合掌し、残された皆様のご健勝を祈るばかりである。
22:30頃震度3の熊本を震源とする地震がありました。思わず立ち上がりました。
「細川忠興譜」は次のような書き出しで始まる。
細川越中守源忠興ハ藤孝カ嫡男ナリ幼名ヲ熊千代ト穪ス 将軍足利義昭ノ命ニ依テ細川中務大輔 陸奥守 輝経ノ養子トナスへキ約アリ 然レ共父藤孝カ許ニテ成長シ後信長ニ勤仕ス 天正元年七月義昭填島ニ籠城有テ信長ト合戦ノ時輝経モ籠城ノ處填島落城ニテ義昭落魄ノ節輝経モ共二牢浪ノ身トナリシユヘ遂ニ其約ヲ果サス
しかし一昨日のブログ「第八師団北熊本駐屯地・歴史資料館オープン」に記した、「細川家家老有吉家の文物」の展示物の中にあった細川家系図によると、細川輝経と忠興は一本の線でつながれており「養子」であることを示している。有吉様のお話によると、この系図は重賢公まで記されており、細川家により作成され三家老家に同様のものが下されたのではないかとのことであった。
「細川忠興譜」の記述は多いに理解できるところであるが、上記系図にあるような認識が存在したことが見て取れる貴重な資料である。
細川輝経については、私はあまり知識を持たない。
奥方が松井廣之女(清光院)であること位である。その説明には「忠興養母」とあった。
松井家資料を読み込まねばならない。また熊本県立図書館の「佐田文書-66」に、「細川輝経公」があるらしい。また宮村典太の「吹寄木与勢-巻二」には、大変思わせぶりな表題「三齋公の御遊認候御先祖附」というものがある。この内容がどういうものなのか、確認する必要が在る。いよいよ明日は久しぶりに図書館に出かけようかと考えている。