津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御恵贈御礼

2012-04-10 16:13:07 | 史料

 東大史料編纂所の金子拓先生から二冊の論考をおおくりいただいた。深く感謝申し上げる。

      ■肥後加藤家旧蔵豊臣秀吉・秀次朱印状について(続) 金子拓氏著    (東京大学史料編纂所研究紀要第22号-2012年3月-抜刷)
      ■目録学の構築と古典学の再生 天皇家・公家の実態復元と伝統的知識体系の解明 
             抜刷 『兼見卿記』自元亀元年至四年記紙背文書 金子拓・遠藤珠紀氏共著 (東京大学史料編纂所研究成果報告2011-3) 

 

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二つの文書

2012-04-10 11:31:14 | 地図散歩

 畏友K氏が母方のご先祖さま(M家)についての著作を刊行すべく、現在校正作業に入っておられる。
友人である近世史家のS氏が史料編を担当されるなど、その内容は本格的である。

随分以前のことだが「風説秘録」なる文書から、M家の左源次なる人物が某所でいわゆる無礼討ちをしたという記録があり、これをお知らせしたことがある。
ところがK家の過去帳にはこの方の名前が見つからず、この記録自体の内容が怪しくさえ思えていた。
また、過日S氏からこの「風説秘録」の記録者についてのお尋ねがあったが、特定するものがなく些か胸につかえていた。

昨日は別件にて図書館行、目的以外に思いがけない収穫があった。
ある資料を眺めていたら上妻文庫に「手討達之扣」という、宝暦六年(1756)から文政四年(1824)に至る約60件の手討事件の詳細である。
ここにM家の左源次の事件が記録されていた。そしてM家当主(五代)の弟であることが記されており、M家過去帳にある「源治」であろう事が判明した。

「手討達之扣」は藩庁に事の顛末を届け出た記録であるが、「風説秘話」とはやや内容を異にしている。
切り捨て御免は武士の特権であろうが、報告など当主が付き添うなどそれなりに大変であったようだ。
左源次は特に罪を得たような形跡はなく長生きをしているが、兄が養子を迎えているところを見ると、家を継ぐということは憚れたのかもしれない。

中には罪を得て処分を受けたケースもある。お家断絶に至ったケースも見受けられる。ほぼ一年に一回と云った勘定になるが、これが果たして多いのか少ないのか応えてくれる史料がない。
約200頁ほどの内容だが約1/4ほどしかコピーできていない。全てをコピーして「風説秘話」と照合してみたいと思っている。
(実は風説秘話も全部はご紹介できていない) 

 

 

 

 

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