津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

城割り

2012-04-15 21:08:31 | 歴史

 元和元年江戸の内記(忠利)から「城割」についての情報が入ると、書状を受け取った忠興は即日実行に移つている。(熊本縣史料近世編一・p666)

「去廿日之書状二通披見候」と頭書がある、忠興の後(閏)六月二十九日の内記宛の書状である。

    一、諸国城割之御觸状今日廿九到来候 則門司之城今日より
       わらせ申候 残城〃使之参著次第わり候次第わり候へとか
       たく申付遣候 此由御奉行衆・金地院・上州江可被申候事
    一、中津之儀大炊殿江談合之由尤ニ候 濟候ヘハ能濟候ハて
       も不苦事
    一、城わりのもやう被申越候 千万ニ一ツ前のことく城を仕候へ
       と被仰出候共御侘言申一城ニて居可申と存候間こんりんざ
       いわらせ申候事 

城割に係るものだけを抜粋記してみたが、忠興の対応の早さにびっくりさせられるし、中津城については廃城もやむなしという考えがあったことが判る。 

一国一城令は慶長20年閏6月13日(1615)に発せられている。(元和改元七月十三日)
                http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%9B%BD%E4%B8%80%E5%9F%8E%E4%BB%A4

肥後国に於いても麦島城(後、地震倒壊)が残され、後の肥後細川藩における一国二城へつながっていく。

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今日は史談会の4月の例会、花岡先生の講演史料は奇しくも城割に関するものであった。
 

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一休の長文字

2012-04-15 07:55:52 | 徒然

 「一休の長文字」という童話がある。     http://hukumusume.com/douwa/betu/jap/10/19.htm

熊本縣史料を眺めていたら、次のようなものを見つけた。(近世編一・p656)
浅学菲才の私にはちょっと難解な文章で意訳が出来ないでいるのだが・・・・・・・

                  一休長文字之御墨蹟長文字之日本一ニて候 表具ハ如書
                中ニて候 上之中ニ鹿二ツ一ツハ見帰候 三ツと被書付候
                久しき事ニて我々可為失念候 りん方之地白く候へとも金
                襴替候事

寛永八年の三月卅日の日付がある三齋が忠利に発した長い文面の書状に書かれている。
「一休之長文字」が童話の世界のものではないことにびっくりしたし、その内容が「し」なのかどうかは判らない。 一行目後半からの記述は、表具の有様であろうが「失念」とあるところからすると、三齋がどこかで拝見した記憶を基に書いているのか・・・?
「りん方」とは草の表具のことか? http://home.m05.itscom.net/hyougu/keishiki/index.html 

肝心の「一休長文字之御墨蹟」については、いろいろぐぐっても実物が現存しているようには思えない。どなたかその行方についてご存知あればお教えいただきたい。

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