為御上使御下候由満足不過之候 下関通を肥後へ御越候由
御用御座候而之儀にて御座候哉小倉より肥後へ御出候ヘハ
四拾壱里御座候而八丁坂・秋月なとゝ申ハ大山多御座候
又坂なき道を一通御座候 又豊後鶴さきより御出候ヘハ道能
御座候而熊本へ廿六里御座候 其上夏河にて乗能御座候ニ
何とて中國路を被成御出候哉と存候 又御帰之時分ハ又國
をも御覧候ため又ハ北風吹申候故中國路を御上候而尤存
候 いか成御談合候哉
一、小倉より肥後へ二道御座候絵図仕懸御目候 御覧候而道
を御定候而可被下候御人数つかへ不申様ニ万事を可申付
候 我等國之内ハ少にて候間何にても不苦候 筑後・筑前此
儀をはや被存候ヘハ万事勝手能御座候間早々可被仰越候
一、存之外小荷駄すくなき所にて御座候間俄此儀まて御不
自由たるへきと迷惑仕候間つかへ候得ハ如何候条下ノ関
より半分ハ筑前わか松より下々御あげ被成半分ハ我等國之内
へ御上被成候ヘハはか参へく候 御自身/\ハ御談合彼是
のため小倉へ被成御出候様ニ御尤候 筑前わか松と小倉
ハ半里半ほと間御座候 ミなとにて御座候
一、各様豊後つるさきへ御出候ハゝ我等國端より近御座候間
人数ハ差置我等斗罷出以面可申入候事
一、何方通御越候哉急度被仰越候ハゝ可忝候 尚口上ニ申
入候事
一、をよそ御人数・馬数可被仰越候さき/\の國へ可申遣
候事
一、大坂へ御着候ハゝ先召馬我馬舟にてさきへ可被遣候 舟
より其まゝ乗候ても不苦候 いつも関東へ其通ニ仕候事
一、舟御心安召候様ニと目録を以進之候 参物以下ハ舟ニ入
不申候御用之事も候ハゝ此着ニ可被仰付候
一、肥後より左右申来候先書ニ申入候若き者共のかたまり候
儀またやふれ惣様今ハ酒ニゑいたる様ニ仕居申まてにて候
左様可有之儀与存候 替儀候ハゝ是より又可申入候用之状
ニ御座候わけの見へ候様にと以他筆如是候 恐惶謹言
六月十六日
稲葉丹後様
人々御中
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六月十五日之御状同十六日辰之刻ニ拝見仕候
一、肥後之様子静ニ御座候而掃除なと申付由門番抔も人を
へらし申由加様ニ可有御座儀候間若替儀候ハゝ可被仰越
一、夜前為 上意御触状参候我等も若人之入儀候時ハ 上
使衆如御差図可罷出由御座候事
一、筑前へも又肥前へも此段被仰遣由ニ候
一、内藤左馬・稲丹州・石河主殿なと被参候由此衆小倉へ
御出候ハん儀大方相済申由若替儀候ハゝ可被仰越由候小
倉にてハ何も御逗留候ハんと存候内左馬舟成かね中國路
をくがを被参由候 其元ヘハ猶以可参候へとも御下候衆御
番之様子書付進之候
一、何も六月廿日ニ江戸御立候由左候ハゝ七月中比小倉へ
可為御著候事
一、肥後之様子弥右之分ニ御座候ハゝ其段今一度被仰越候
而可被下候恐惶謹言
六月十六日
森 伊豆様
本郷庄三郎様
御報
尚々被入御念早々忝存候何時も御連判にて可被下候
已上
内左馬人数三千
如此申来候
稲丹人数三千