細川忠利 書状/古文書 書画 肥後熊本初代藩主 豊前小倉藩
細川忠利 書状/古文書 書画 肥後熊本初代藩主 豊前小倉藩
寺田源右衛門宛て書状である (裏面に宛名書きがある)
青地久右衛門も一時期寺田源右衛門を名乗って居るが、召出しが正保二年十月とされるから、父親源右衛門であることが判る。
ちなみに青地久右衛門は、京極丹後守にて千石、立花家にて三百石、光尚代旗本能勢小十郎肝煎にて召出、三百石
津々堂
細川三斎 書状/古文書 書画 小倉藩 関ヶ原の戦 豊前中津藩
中路宗悦孫たら宛ての知行状 寛永廿一年は正保元年(十二月改元)
三齋がなくなる一年前のものである。
三齋のそば近くに仕えた人であろうか、女性の名前が判明する珍しいものである。
飛この國八志ろこ越り 肥後國八代郡
きた村尓て百石やく奈しニ きた村にて百石役なしに
津かハす奈かく知行春へき つかはすながく知行すべき
もの也 もの也 津々堂