津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

袖判

2012-06-23 17:08:33 | 徒然

そではん【袖判】

 文書の右側の部分(袖または端という)に花押を記すこと,またその花押。中世武家文書に多くみられる。花押は通常奥の年月日を施した下に据えるが,差出者と受取者との間に身分上隔りのあるときに袖判を用いることがある。平安時代の中ごろよりみえ(寛治3年(1089)9月22日の大宰府下文(くだしぶみ)案が初見),ついで知行国主の庁宣に用いられた。中世において源頼朝の下文は,はじめ奥に花押を記したが,1184年(元暦1)以降袖判となった。

細川藩においては、藩の借銀などにおいて藩主が花押を著すことがあった。
熊本大学・吉村豊雄教授の「大名の借金証文」に詳しい。
                   http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/10335/3/Tokogen031_2.pdf

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肥後の三人娘

2012-06-23 10:53:59 | 徒然

 昨今大きな人、小さな人、身体に障害を持った人などをTVが見世物のように放映しているのが見受けられるが、こういう番組を作り芸能人らがわいわい言っているのを見ると虫唾が走ってしまう。この「肥後の三人娘」そろって大女であったがゆえに見世物にされてしまったらしい。なんとも気の毒な話だが、他愛無い話でもある。

十七歳・十三歳・九歳のお松・お竹・お梅の三姉妹は、加藤清正公に念じてこの様な大女に生まれたという。見目よく評判となり深川あたりで興行がはられたらしい。二度目というから余程の評判であったのだろう。
先の大空武右衛門といい、この三姉妹といいお江戸の人たちは肥後という国はでかい人間が多いところと思っていたかもしれない。 

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