祐筆の筆になるものだろう。自筆ではないように思える。
署名のみ行い花押も面倒なのでローマ字印を押したという感じ。
寛永四年参府して中津に帰った三齋は、寛永五年初めから一年十ヶ月ばかりを中津で過ごしている。
長岡河内は三齋の側近・村上八郎左衛門景則(10,000石)のことである。
口上
為音信丁子拾斤到
来感悦候尚長岡河
内可申候也
寛永五六月二ゝ
宗立○
貫長者丸殿