三浦綾子の「細川がラシャ夫人」を読むと、ガラシャが侍女佳代(清原マリア)にキリスト教に関する書物をたずね、佳代は「こんてむつすむんぢ」を提供するくだりがある。三浦は脊椎カリエスに罹って、キリスト教の洗礼を受けた人であり、この様なものの存在に詳しかったのであろう。生方たつゑ著の「細川ガラシャ」も、佳代なる人物が登場しこの書物も同様に登場している。側室おりょう(古保の生母・藤)が登場するなど、二つの作品が非常に類似しているところが多い。
さてこの「こんてむつすむんぢ」、実際は1610年に京都で出版されたというから、創作上の話である。
インターネットでは全部ではないが、其の一端をを見ることができるからありがたい。(古活字版から)
http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography2/fukawa01/F01_001_023.pdf
内容については次のような論考も見受けられインターネット様々である。
http://ci.nii.ac.jp/els/110004678963.pdf?id=ART0007411172&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1339413434&cp=
この時代にこの様な国訳本が出版されていたことは驚きであるが、同様の教えをもってガラシャがキリスト教に帰依したとすれば、まさに三浦綾子氏のこの引用は当を得たものといえる。そしてガラシャを書く上ではキリスト教の視点が重要であることを実感させられる。