新幹線の高架にそって在来線の高架工事を始めるに当り、新町・横手町界隈では高麗門遺構から妙解寺御成道路遺構の発掘作業が行われている。
文化財的価値も含め、なるだけ遺構にかからないように橋脚の位置を決めようという配慮が見受けられる。結構なことではある。
すでに高麗門(?)の基礎部分の一部が顔を出し、その規模の概要が明らかになりつつある。
そして「高麗門」とよばれているこの門は実は「櫓門」であることは、富重利平氏が明治期に写した写真でも知られている。
なぜこれが「高麗門」と呼ばれているのかが良くわからない。
例えば江戸城の桜田門に於いては、堀を渡るとすぐに外桜田門があるがこれが「高麗門」、枡形の奥に「櫓門(渡櫓門)」がある。
通常これがセットになっている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80
桜田門における櫓門が、ここ新町では「高麗門」と呼ばれているのである。専門家にぜひともお尋ねしたいと願っている。