津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

沢村大学出奔の遠因

2013-09-02 14:43:26 | 史料

過日 沢村大学の帰参 を書いた。沢村大学の知行地・至津村でおき三齋の機嫌を損じ、大学が出奔するに至った事件のその詳細を知りたいというお申し越しがあった。少し長文に成るが、東京大学史料編纂所の「大日本近世史料--細川家史料一」から御紹介する。(p89)

              已上
         端午之祝儀ニ、其元(江戸)へ人を下候、乍次而申候
      一、元和貮年之儀候哉、我等江戸へ参候留守ニ、至津庄屋分別にて免相事ニ惣百姓筑前迄走せ、
         主ハ不存躰ニ而、高免故到津村之百姓不残國境迄退候、過分之田地荒候間、何とそ申付可然
         之由、彼庄屋志水九左衛門まて申ニ付、彼百姓ニ何とそ才覺仕候へと申付候へは、主存分之
         儘ニ申究、扨百姓共呼返候事
      一、我々下國之上、右之次第聞届候而、筑前を頼、國境之者山上り仕候事沙汰限候條、不残可誅
         伐之由候へは、田畠過分ニ荒申候條、棟梁人迄きり候て残ハ助可然之由、皆共申候つれと
         も、所之荒候ハ何程にても不苦候、か様之儀は後之さゝハりニ成事候條、不残きり可申と申
         付、彼庄屋を初■なてきりニ申付候、其内名子女子已下は助、似合ニ毛をも付候へ、本百姓
         ニ可仕旨申出候て、其方ニ小倉渡候時まて無異議有付申候つる事
      一、されとも右之百姓迄にてハ不残毛付不申ニ付、いつかたにてももとでの在之百姓、或牢人共
         よひ寄候へと申付候處、其比、自中國走り來候有力百姓善兵衛と申者田川ニ居申候を呼寄、
         明候田地相渡、無残所毛をも付、其上到津生之者ニても無之故、至津筑前程近ニ付、なまく
         さき事共在之はつけしらせ候へと、目付同前ニ申付置候而、事之外忠節之者ニ候つるを、何
                                                   元和七年
         と申わけ候哉、其方小倉へ被移候年、過半善兵衛田畠被取上、筋目之百姓ニ渡候へと被申付
         之由候而作毛被取上候、依是、迷惑仕り、段段前ゟ我々へ奉公次第、以書付元和七年十一月
         時分郡奉行まて上、其方ニ此理申候てくれ候へと頼申候處ニ、四五日過候て、其方ニ申候へ
         共無同心由候而、訴状返候由候事
      一、それゟ無是非當年まて堪忍仕居申候へ共、過分之田地を被取上、はや飢ニ及申ニ付、當年正
                                       國遠道倫
         月廿八日ニ又訴状を書、中川四左衛門をたのみ道隣所迄上申候處、有無之返事なく、其方上
         洛ニ付、もはや此上ハ走り申外無之候、されとも他國へ参儀も餘迷惑ニ存ニ付、此理一旦可
         申と存参候由申候て、我々鷹野へ参候時、直ニ訴状を上候、取テ見申候へは、右之次第にて
         候、能々我々覺候事ニ候事
      一、如右ニ候へは、其方領分之者其方を差置、我々へ飛越訴状上ヶ候ニても無之候、其方之みゝ
         ニ不入ニ究り、はや上洛候へは、飢ニ及堪忍も不成、又他國へ走候も迷惑ニ付、せんかたな
         く前のよしみニ我々所へ参候由申候事
      一、同村孫三郎と申者、惣様を走せ候庄屋名子ニて候シ、彼孫三郎女ハ庄屋譜代之女にて候を、
         彼庄屋孫三郎ニ仕合置申由候、右ニ如申、名子女子已下ハ助、本百姓ニ仕ニ付、孫三郎も本
         百姓ニ取立、右之女をも遣候處、彼成敗仕候庄屋むす子、其時は三ツ四ツニて候故、きる所
         へも不参、其儘置候處、成人候て今名を長蔵と申由候、それを其方被取立之由候而、孫三郎
         をまへのことく名子ニ罷成候へ、彼女も取返、彼曲者之子ニやらるゝ由候、我々成敗仕庄屋
         之子を被取立候所は卒度も無構候、可為分別候我々本百姓ニ仕立、女子迄遣候を、何之科
         もなきニ如前名子ニ被仕、剰女子まて取返、彼曲者むす子ニ被付候由、是ハ餘なけかしき儀
         候事
           一、其方之被申出候とて郡奉行共申候筋目之者と申ハ、筑前をうしろたのみニ仕、にくきしかた
         仕もの共候、新百姓と申ハ、所之荒候を毛を付、居住をはなれ、我々申儘ニ至津へ來候者候、
         如此故、我々小倉ニ居申候時ハ、新百姓其外名子を本百姓ニ仕候、此外ハ従筑前歸参人ニ候
         間、筋目之者とハ不申候處ニ引替、筑前へ走候者を筋目之者と被申出、田地をも被付、本百
         姓ニ我々取立候者を名子ニ被仕由候、此段、右ニ如申候事
      一、只今如此申所非別儀候、此儀書中ニてハ其方合点も参かね可申候條、所詮我々其方ニ直談申
         まて、右之善兵衛・孫三郎、人中申ニ任せ与風誅伐不被仕様ニと頼申まて候、面之上ニ而善
              
         悪究、其方にていかやうニも可被申付候、此上成敗候へは我々失面目候、可被得其意事
                まて                                                長元
      一、此返事在之○は、其方ゟ与風成敗之儀被申出候共、誅伐仕なと小笠原民部少輔・郡奉行ニ申
         付候、可被得其意候、恐々謹言
                                          三齋
            (寛永元年)卯月七日                  宗(花押)
                                  越中殿
                          進之候 

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告知・熊本史談会九月例会

2013-09-02 08:22:21 | 熊本史談会

 九月の史談会例会を下記の要領で行います。会員でない方のご出席も大歓迎です。
入会金不要、当日資料代として500円を申し受けます。

          期日:平成13年9月21日(土曜日) 午前10:00~12:00
          場所:熊本市中央公民館 5階2号室
                 駐車場は公民館裏手にあります(無料)
          
今回は熊本地名研究会会員であり、当会会員でもある福田晴男氏から、(仮題)大師まわりと熊本の町々 と題してお話を伺います。
これは氏が熊本歴研「史叢」に発表された「くまもとのお大師廻り」をベースに、地名研究の豊富な知識を交えてお話しいただき、古今の熊本の町の風景を感じ取っていただきたいと思います。お楽しみいただけるものと思います。多くの皆様のご出席をお待ちしております。 

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