月天心貧しき町を通りけり 蕪村
今日のような日は、全国津々浦々電気を消してみたら如何でしょう。あまねくお月様は富める街も貧しき町も、分け隔てなく明るく照らしてくれることを実感できるでしょう。そろそろ十一時、お月様は天頂へ昇り小さくなりましたが、貧しき我が家の上をゆっくりと通り過ぎられたという感じです。
月天心貧しき町を通りけり 蕪村
今日のような日は、全国津々浦々電気を消してみたら如何でしょう。あまねくお月様は富める街も貧しき町も、分け隔てなく明るく照らしてくれることを実感できるでしょう。そろそろ十一時、お月様は天頂へ昇り小さくなりましたが、貧しき我が家の上をゆっくりと通り過ぎられたという感じです。
熊本日日新聞に 長崎大に解体の熊本城櫓門の写真 という記事を「撮れたてニュース」として出している。
よくよく読んでみると、「マンスフェルトが見た長崎・熊本」に掲載されている、新三丁目の櫓門の紹介記事である。
この本は 2012年10月3日初版の本であり、今頃鬼の首を取ったような記事に驚いてしまった。遅きに失していますよ・・・・
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「雑草と云う草はない」という昭和天皇の御言葉は、けだし名言である。しかしながら 本名は頓とわからず草の花 という夏目漱石の句に、ごもっともと共感もする。 「四季の山野草」というサイトを見ると、画像数25,002 検索数(花・葉・実)8,883 という膨大な数の山野草が紹介されている。(ちゃちゃさんの「徒然草」から導かれた)
漱石の孫娘の婿・作家半藤一利氏の「漱石俳句を楽しむ」によると、江戸っ子である漱石が熊本時代に「大いに植物の美しさに目を開かれた」としている。
菫程な小さき人に生れたし
土筆物言はずずんずんとのびたり
行く春を沈香亭の牡丹かな
水仙の花鼻かぜの枕元
光琳の屏風に咲くや福寿草
行けど萩行けど薄の原広し
蛤とならざるをいたみ菊の露
菜の花の隣もありて竹の垣
明治29年から33年にかけての熊本時代の句を選んでみた。
8,883