津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

秋の熊本をお楽しみください

2013-09-09 11:00:31 | 熊本
 


歴史研究会創立55周年記念 
第29回全国大会肥後熊本大会ご案内
2013年


★と  き 平成25年10月18日(金)・19日(土)・20日(日)=二泊三日
★第一日目 式典・記念講演・祝宴=[会場]熊本市「熊本交通センターホテル」
★第二日目 見学会①加藤・細川家が遺したもの(甦った熊本城、水前寺、細川家泰勝寺、五高散策、武蔵の霊巌洞)
★第三日目 見学会②古代ロマンの宝庫くまもと(西南の役・田原坂、装飾古墳、八千代座、旧細川家お茶屋跡など街道散策)

◎皆で歓迎申し上げます
 熊本は加藤家・細川家の文化を色濃く遺した城下町です。
 加藤清正公が築城した熊本城は、年間二百万人近くの皆さんが訪ね、復元なった本丸御殿などで楽しんで頂いてます。
 清正公のあとは、細川家の入国で熊本の文化は一層花開いてきました。能、茶道、「肥後六花」など熊本の豊かさを創りだしています。
 細川忠利公の招きで、客分として仕官した宮本武蔵は『五輪書』を始め、多くの芸術品を遺してくれました。
 清冽な湧水に囲まれた水前寺公園には、全面復元された細川幽斎公の「古今伝授の間」が四百年余の歴史を伝え、静かな佇まいを見せています。赤煉瓦が残る第五高等学校には、若い教師・夏目漱石や小泉八雲がやってきました。
 明治最大の内戦であった西南の役の古戦場「田原坂」は、訪ねる私達に何かを語りかけてくれます。
 古墳時代の装飾古墳は、全国の約半数が熊本県内に点在しており、お国自慢の一つです。
 皆さんの熊本の歴史探訪がご満足いただけるよう努め、心より歓迎申し上げます。
                            肥後熊本大会実行委員長  吉丸良治
              (熊本ルネッサンス県民運動本部会長/熊本県文化協会会長)

◎大会要項
◎大会要項
【一日目】式典・記念講演・祝宴=10月18日(金)
      ★会  場 熊本交通センターホテル
     (熊本市内の中心部に位置し熊本城や繁華街にもっとも近いホテル)
      〒860・8577 熊本県熊本市中央区桜町三の十
      ℡096・326・8828
        JR九州新幹線熊本駅よりバス又は市電で15分
        熊本空港よりリムジンバスで50分
      ★受付開始 午後12時30分より
■式  典 午後1時30分~午後2時20分
■記念講演 午後2時30分~午後5時
      稲葉継陽先生(熊本大学文学部教授)
        「加藤・細川家が遺したもの」 
      島津義昭先生(熊本歴史研究会会長)
        「古代ロマンの宝庫くまもと」
■祝  宴 午後6時~午後8時
■アトラクション 郷土芸能
■見 学 会
【二日目】見学会①=10月19日(土)貸切バス 熊本センターホテル集合・出発→水前寺公園(記念撮影)─熊大(五高)漱石・八雲─細川家泰勝寺─武蔵旧居(NHK車窓)─城見櫓(昼食)─熊本城─城彩苑─本妙寺─武蔵の霊巌洞─ホテル(午後6時着予定)
【三日目】見学会②=10月20日(日)貸切バス 熊本センターホテル集合・出発→上熊本駅 漱石下車地 池田駅(車窓)─田原坂古戦場─装飾古墳館(山鹿市)─八千代座、細川家御茶屋跡散策─山鹿市内(昼食)─鞠池城跡公園─菊池神社(車窓)─ホテル(午後3時30分着予定)
▼参加費
①コース(10/18)式 典+記念講演……………………………2千円
②コース(10/18)祝 宴…………………………………………1万円
③コース(10/19)見学会①(昼食付)……………………1万2千円
④コース(10/20)見学会②(昼食付)……………………1万2千円
▼宿泊は会場と同じ「熊本交通センターホテル」をご用意しておりますが、先着順にさせていただく都合で、満室になった場合には、会場より徒歩6分の「三井ガーデンホテル熊本」(熊本市中央区紺屋今町1の20 ℡096・352・1131)をご用意いたします。
▼宿泊代金は、「熊本交通センターホテル」は⑤シングル7千5百円⑥ツインお二人で1万3千円となります。また、「三井ガーデンホテル熊本」の場合は、⑦シングル8千円、⑧ツインお二人で1万4千円となります。いずれも朝食付、税・サービス料込みですが、夕食は付きませんので各自おとり下さい。
*前泊・後泊ご希望の方は、事務局まで早めにお問い合わせ下さい。

★申込方法=左記まで葉書・TEL・FAXで「熊本大会に参加」と、お申し込み下さい。
 折り返し、大会参加申込用紙をお送りします。
★申込締切=8月10日(土)まで。
★申込先=〒141・0031
東京都品川区西五反田2の14の10の504
歴史研究会 全国大会本部事務局
TEL03・3779・3127
FAX03・3779・5063

【主催】全国歴史研究会
本部運営委員会
現地実行委員会

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ゑんじやごのみ

2013-09-09 07:07:09 | 史料

寛永六年二月吉日書状(細川家史料-729-)は、光尚の結婚についての忠利の書状に対し、これを良しとするする三齋の返書である。
お相手はこれも三齋の孫(烏丸光廣女)である「禰々」である。

                      追而書之状見申候、其元之様子披見候二、ゑんじやごのみを仕候ハあしそうニ御入候由、
                      さやうニ可在之候、たがいニ力ニ成ことくのゑんしやハしうの為ニハわるき事候、又、公儀
                      むき其外おもハしからぬ衆と申合候ハ、事之外なる儀候、むかしよりゑんしやニ付よき事ハ
                      まれ成物候、心安候て物之不入が上々にて候、からす丸殿二番めのむすめと六と御申合
                      有度由、一段尤之儀と存候間、万所へをんみつにて可申遣候、定而可為満足候、我々より
                      申まてハ堅をんみつめされへく候、右之むすめ禰々と申候、そう一りハつニ御入候間、かた
                      /\可然候、大い殿と御たんかう有へく候、恐々謹言
                                                         三齋(花押)
                            二月吉日
                         未めかすみ、此中ハ猶々ほ(は)れ申候付、書中わけみへ申ましく候、此儀めてたきと
                         申事候 已上
                                 越中殿
                                    進之候 

ゑんじやごのみ(縁者好み)という言葉は三齋によるものだが、これは将軍家周辺や有力大名との縁辺(子女の結婚)を模索する、黒田家・毛利家のことを差している者と言われる。特に細川家の豊前入りに際し、年貢を先取りして筑前に移封した黒田家と細川家の関係は悪化し、三齋は嫌悪感を以てこれらのことを取り上げている。            
      ・黒筑むすめ、若君様(竹千代・家光)へ御上候由、十か九ツもこれにて可在之候、ミとの少将殿(徳川頼房)の事ハいかゝ
       候ハんや、若君への事十の内にて一はづれ可申事も可在之と存候、是又きゝ被届次第可承候事  元和六年三月廿六日・207

      ・黒筑縁邊之事、若君様ハ中/\さたも無之候、ミとの少将殿へ才覚候由候、これハとくりとしれ申ましく候、いな事候、念
       を入立きかれ、又可被申越候事                                            元和六年六月八日・212

      ・戸左門(戸田氏銕)と黒筑縁者ニ被罷成才覚之由、若調候ヘハ左門大炊殿(土井利勝)と知音ニ付、取つゝき候様ニとの
       才覚、又主計殿(井上正就)息女よめニ可被取之由、左候ヘハ何方へも筑前取つゝ■■かるゝ之由、色々様々才覚奇特不
       始于今候事                                                         元和六年七月三日・215 

      ・黒筑ミとの少将(徳川頼房)と縁邊之才覚之由、其外御前衆と入魂申才覚之由、始于今不申候事  元和六年八月十日・216

長政は息・右衛門佐忠之に大久保忠隣女を迎えたが、忠隣が失脚するとこれを離縁している。元和八年正月には、徳川秀忠養女(松平忠良・女)を迎えている。黒田長政は元和九年八月四日死去するが、生前の長政は将軍家や幕閣・有力大名への接近は驚くべきものがあった。また城を破却するなど阿諛追従も驚きを以て迎えられた。

忠之自身は夫人を亡くしたのであろうか、寛永六年にいたると、藤堂高虎女を迎えるべく動いていることを忠興は眺めている。
三齋が黒田家をゑんじゃごのみと評した直後のことである。但しこれは不調に終わっている。 

      ・藤泉州(藤堂高虎)娘、黒田左衛門佐(忠之)ほしかりの由、きとく成る才覚にて候、同心参承候由、大略調可申候事
                                                                       寛永六年六月廿一日・753

      ・藤泉すきと本復被申候由、又、黒田と縁邊調かね申候由、不思議成事候事                寛永六年七月五日・756

      ・藤泉州・黒田(忠之)縁邊之事、不調之由、不思議成儀候事                          寛永六年八月晦日・767 

黒田騒動や、天草島原の乱における采配など、黒田忠之に対する評価は優れたものとは言い難い。

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