津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

参勤ということ

2013-09-08 16:09:09 | 徒然

 山本博文氏の「参勤交代」や、根岸茂夫氏の「大名行列を解剖する・江戸の人材派遣」を読んでいる。

山本氏の解説を引用すると、「参勤」とは江戸幕府の将軍に拝謁するため江戸に出てくることを言い。東西の大名が交互に江戸に参府することから「参勤交代」という とある。 将軍家から領地をあたえられた大名は、服属の意志の表明として「参勤」をし、登城して将軍に拝謁することが服属の儀礼である。
東国大名・西国大名が隔年に交代して参勤するという制度は元和三・四年の頃とされる。この時期はいまだ證人(人質)制度が存在し、藩の重要人物はそれぞれ江戸へ證人を送っている。早い時期の證人としては、慶長五年の正月に忠利が江戸へ送られている。前田利家夫人芳春院(おまつ)等もこの時期である。後には各藩の江戸屋敷が整備されると、藩主夫人は江戸住まいが求められた。忠利夫人・保壽院が領国豊前をはなれるのは、元和九年十月十四日であり、その後豊前を訪れることはなく、又新たな領地肥後の地を見ることもなかった。

参勤交代は膨大な人数を必要とする。正保二年の光尚の参勤の時は、知行取149人・同下人1,268人・切米取1,305人、計2,720人であった。(山本氏著より) 。父・忠利は寛永十一年、改革案を上げている。人数の削減や出発時期の変更などについてである。後者は武家奉公人の出替り時期が二月であるため、出発は三月以降を願い、これは武家諸法度に於いて明文化された。

根岸氏の「江戸の人材派遣」によると、大名は国許からの人数を削減し、江戸に入る時渡り奉公人をやとって人数の辻褄を合わせたという。
これらが組織化され発言力をもち、一方では無頼化し幕府の規制も及ばなかったらしい。幕府の役人でさえ、こういう人たちの世話をうけて体裁を整えたというから、何をかいわんやである。

 

地元の熊本日日新聞社が発行している「すぱいす」というタウン紙があるが、ここで松寿庵先生と歴女が対話を通じて、歴史を面白おかしく紹介している。松寿庵先生とは、元熊本大学教授の松本寿三郎先生のことである。

ここでちょっと不自然な文章があり、少々首をかしげている。「江戸がホームで肥後はアウエー」参勤がすめば「国元へ単身赴任」
国元がホームで江戸がアウエーでしょう。江戸から見れば夫人をおいて国元へ帰るのだから、単身赴任は判らぬではないが・・・ちょっと不自然。
みなさんどう思われますか。 

                             

コメント
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congratulations

2013-09-08 06:46:55 | 徒然

                                              サムネイル写真

 昨晩は東京オリンピック開催についてのプレゼンテイションをTVで見ていたのだが、さすがに高血圧爺には決定をみるまで起きている元気はなかった。
今朝の明け方に成って決定の夢をみたのだが、起きてみるとこれがまさに正夢であった。
日本国民大方の願いであったろうから、まずはcongratulations・・・・・ 御同慶の至りである。

2020年・・・はたして元気にしているかどうかは疑問だが、なんとか滑り込みセーフの感じはする。
この決定はアベノミクスで少々明るさが見えてきた日本の経済にとって、大きな+となることは間違いないし、安倍首相も長期政権となる可能性も見えてくる。震災の復興や原発問題と云う避けては通れない大問題があるが、「原発廃棄」をうたう位の大英断を以て日本の安全を更なるものにして欲しいものだ。
                                                                                   

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