あるお寺さまから細川家歴代(五代~十一代)の法名が記されたものを拝領した。
5代綱利公 妙應院殿中太夫前羽林次将兼越州太守雲嶽宗龍大居士
6代宣紀公 霊雲院殿中太夫前拾遺兼越州太守桃谷義蟠大居士
7代宗孝公 隆徳院殿中太夫前拾遺兼越州太守廊然義周大居士
8代重賢公 霊感院殿中太夫前羽林次将兼越州太守徹岩宗印大居士
9代治年公 大詢院殿中太夫前拾遺兼越州太守禅月宗関大居士
10代齊茲公 諦了院殿中太夫前羽林次将兼越州太守海覺義廣大居士
11代齊護公 諦感院殿中太夫前羽林次将兼越州太守春谷宗堪大居士
12代以降が書かれていないのは、明治に至り細川家は神道に改宗されたからである。
ここで気が付くのは全ての方に付いている中太夫(正式には中大夫)だが、これは「ちゅうたいふ(きゅうたいふ)」と読み、従四位下の官位を示している。
細川家は家督時には四品としてのこの官位を得ている。
羽林次将(うりんじしょう)とは近衛中将又は少将の事を差すが、細川家の場合は近衛少将である。5・8・10・11代が極官としてここへ至った。
6・7・9代は年若くして亡くなっており「拾遺」に留まった。これは「侍従」の唐名である。越州太守は勿論越中守であることを示している。
日本式に書くと5代綱利公は次の様に成る。
でん さきの
妙應院殿従四位下前近衛少将兼越州太守雲嶽宗龍大居士
唐名にこだわっているのが面白い。通常は官位官名をはずして、妙應院殿雲嶽宗龍大居士 また 妙應院様 と申上げているわけである。