月日未詳(貼紙に寛永四とある)の三齋公自筆の切紙に次のようなものがある。(細川家史料612)
(端裏貼紙、異筆)
「寛永四 江戸にて」
黄飯ノ料理仕者二人給候、我々存候と替り申候間、上田忠左衛門弟只今可給候、
鳥めしをもさせ、又ナンハン料理させて見申度候、已上
三
越中殿
ここに出てくる上田忠左衛門は、わが曾祖母の実家・上田家の祖にあたる人物である。忠左衛門弟についても少々の消息が残されている。
memo上田久兵衛家初代周辺
三齋公が忠左衛門弟を江戸へ召し出して、黄飯・鳥めし・ナンハン料理を作らせようというのだが、この人物は、忠利公の命により、豊前に於いて「葡萄酒」を作ったことで知られている上田太郎右衛門だと比定されている。
上田久兵衛家、初代の周辺(ニ)