津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

黄飯・鳥めし・ナンハン料理

2013-09-03 10:01:23 | 徒然

 月日未詳(貼紙に寛永四とある)の三齋公自筆の切紙に次のようなものがある。(細川家史料612)

       (端裏貼紙、異筆)
       「寛永四 江戸にて」 
      黄飯ノ料理仕者二人給候、我々存候と替り申候間、上田忠左衛門弟只今可給候、
      鳥めしをもさせ、又ナンハン料理させて見申度候、已上
                                    三
           越中殿 

ここに出てくる上田忠左衛門は、わが曾祖母の実家・上田家の祖にあたる人物である。忠左衛門弟についても少々の消息が残されている。
         memo上田久兵衛家初代周辺     

 三齋公が忠左衛門弟を江戸へ召し出して、黄飯・鳥めし・ナンハン料理を作らせようというのだが、この人物は、忠利公の命により、豊前に於いて「葡萄酒」を作ったことで知られている上田太郎右衛門だと比定されている。 
上田久兵衛家、初代の周辺(ニ) 

 

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memo 井門亀右衛門

2013-09-03 06:56:18 | memo

幽齋公田邊城籠城の際、攻め手の赤松左兵衛の家臣としてその働き振りを賞賛された物頭井門(いど)亀右衛門は、後忠興公により召し寄せられる。
その働き振りを綿考輯録は次のように記す。

赤松左兵衛陳の内より、母衣武者一騎かけ出、杉の馬場口へ乗廻し候躰如何様一ふし可有之と、城中各覚悟いたし候に、左はなくて、堀溝にかゝミ、引兼たる者共を可引取との儀にて、馬上にさいを振廻し、見方を招き、馬を乗廻し、順逆に輪を乗、静に引取候躰、見事なる振也、母衣は白赤、横に段々筋、母衣の出しは同毛三ッ羽子、間に蛇の目有、馬は栗毛とも、粟毛共見へ候、城中よりねらひ、鉄炮余多打懸候へとも、程遠き故か不中、此武者赤松左兵衛・物頭井門亀右衛門重行と云者也

 

              亀右衛門重行---+---亀右衛門重忠
             |  千石・若年にて相果、跡断絶
             |

             |  中津別禄召出                        宇土代々家老・禄七百石
             +---少次郎重之---------次郎左衛門重之・・・・・・次郎左衛門重顕
                 八代御供         文三郎 宗中


次郎左衛門重之は「立孝公・行孝公・有孝公 御三代記」「宗中覚記」など、宇土細川家に係る記録を書き残している。

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