溝口家七代目・武啓太(養子 実・五代政勝末子 権之助、蔵人・貞直)
文政十一年九月跡目相続、中着座、番頭、大目付、大奉行、中老職、家老職
文久元年八月致仕・号孤雲 家老職再任 明治五年三月十三日歿・六十四歳
天保三年五月~天保四年九月 用人
天保四年九月~天保八年六月 大御目付
天保八年六月~安政五年九月 大奉行
天保十三年八月~嘉永五年十一月 中老
嘉永五年十一月~万延元年十二月 家老
万延元年十一月~万延元年十二月 大奉行
孤雲 慶応三年三月~明治元年七月 家老(隠居後・再任)
溝口孤雲 名は貞直、初は蔵人と称し、後孤雲と称す。竹雨、鳳屋等の号あり。食禄三千石、
中老より家老に進み大奉行を兼ぬ。維新の際は藩公に代りて出京し斡旋大に力む。
後召されて参与となり徴士に挙げらる。
明治五年三月十三日没す。年六十四。墓は北岡安国寺。後従五位を贈らる。
熊本博物館の木山貴満様から「史料紹介・吉田如雪の明治十年の日記について」を御恵贈いただいた。厚く御礼申し上げる。
吉田家の貴重な文書が熊本博物館に寄贈されていることは承知していた。■熊本博物館所蔵の吉田家文書
又木山氏の論考■吉田家文書・上京公私諸控も拝見していた。
昨年10月「鳩太郎がゆく!肥後藩士 吉田鳩太郎が見た幕末維新」展が同博物館で催され、最終日に展観させていただき、ずうずうしく如雪日記の原本のコピーをいただけないかとお願いをした。
当然のことながら思いはかなわなかったが、今般このような形で如雪日記の全貌を知ることが出来、感激の至りである。