津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■知行世減の法

2015-07-19 12:09:25 | 史料

K家に残された宝暦の改革の目玉ともいえる「知行世減」を伝える文書である。

忠興公代家士の扶持は、その人物の勲功によるもので家督相続もない一代限りであった。忠利公の代に及んで父子相続が定められ、忠興公(三齋)をして嘆息せしめた。
凡庸なる人物でも家禄として継承され、才能ある人物でも加禄されて重用されることはなかった。
藩の財政が危機的な状態になるに及んで、慶安三年を境にしてそれ以前の被官の者を旧知、それ以降の者を新知と称して知行の世減が行われた。

宝暦の改革により一時期財政の好転が見られるものの、その後再び悪化をみるのだが、旧知の家に改革の手が及ばなかったことが一因であろう。
さらに時習館での勉学がおろそかであったのも大身の家や旧知の家が多かった。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする