津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■九州御動座記(一)

2017-05-03 10:37:47 | 史料

 天正十五年三月至七月 九州御動座記

大坂ヨリ
三月朔日九州表へ御動座道之次第
三月一日      舟付
一津国兵庫迄
二日        舟付
一播磨明石迄   五里
三日        舟付二里 
一同国姫路迄   九里
四日
一同国あかふ迄  七里
五日        舟付
一備前片上迄   六里
  但此所ニ中四日御休息也   (誤記か誤植か不明)
六日        舟入(ママ)
一同国岡山迄   八里 
  但此所ニ中四日御休息也
十一日
一備中なか山迄  八里
十二日
一備中赤坂迄   八里
  但此所へ公方様御出候て御太刀折紙にて御礼を被仰候。御酒上ニ互ニ銘作の御腰物被為参候。
  則公方様も赤坂之近所也。備後ノともの浦へ三里在之
十三日       舟付
一同国三原迄  
  但中一日御休息
十五日
一安芸四日市迄  八里
十六日       舟付
一同国かい田迄  六里
(十七日・欠ヵ)  舟付
一同国廿日市迄  六里
  但中一日有御逗留、いつく嶋へ被成御参詣。種々御慰御歌なと被遊候て当社大破ノ体被成御覧候て八木五千石当座ニ御寄進
十九日
一周防国永興寺迄 七里
廿日
一同国呼(エビ)坂迄 六里
廿一日       舟付
一富田市迄    七里
廿二日
一同国苻中迄   九里
廿三日
一長門中山迄   八里
廿四日       舟付
一同国はぶ迄   七里
廿五日       舟付
 同国赤間関迄  六里
  但中二日御逗留。此処を関戸とも云。是より渡海ニて筑紫地へ被為渡候也
  以上百丗七里。是ハ丗六町の道積。但備後赤坂より周防永興寺まてハ四十八町道也
          

コメント
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