今日は史談会の例会、例会終了後Dr・T先生の遺品(稿)の整理にN君とO氏邸に向かう。
膨大な原稿・写真・ネガ等は段ボール30箱ほどあり、一時期貸倉庫に納められていた。これをN君がご遺族の了解を得て頂戴し自宅に運び込んだが、寝る場所もないありさまとなり保管が問題となった。
その後、史談会会員O氏のご厚意により氏のマンションに一時期仮置きさせていただいているが、整理されていないままの段ボールの山である。
二人して内容を確認しながら、内容ごとに詰め替え作業を行った。約4時間の作業であったが、平成肥後国誌の原稿その他が15・6箱ほど、写真やネガが10箱ほどにまとめたが、Dr・T先生の旺盛な知識欲の結晶を目の当たりにして、ただただ感嘆するのみであった。
大学の同窓会誌に連載された一連の文章については、私も随分資料の提供でお手伝いをしたが、その手紙のやり取りなども残されており懐かしさも一入であった。
75爺はいささか疲れ果て、O君と共にかって先生とも訪れたことがあるコーヒー店に足を運んで休憩した後帰路に就いた。
Drが医院を営まれていた草場町の跡には現在高層マンションが建てられている。
6月12日は先生の三回忌、O君からお墓参りに行きましょうと誘いを受けている。
熊本県史料集成・10「肥後藩の農民生活」の「第四節・ききんどし」には以下のことが記されている。
1、1732年のききん (記録書抜‥熊本女子大学蔵から)
2、1739年のききん (記録書抜‥熊本女子大学蔵から)
3、1755年のききん (細川越中守重賢公傳から)
4、1769年のききん (記録書抜‥熊本女子大学蔵から)
5、1783年のききん (西遊雑記から)
6、ききんの慢性化 (出仲間村庄屋年々覚帳‥熊本女子大学蔵から)
7、夥しい物貰い (記録書抜‥熊本女子大学蔵から)
8、すべて物貰いに (仁助咄から)
9、物貰い札 (記録書抜‥熊本女子大学蔵から)
次回から随時ご紹介する。