昨日の史談会においては、会員・大矢野氏のお宅にある「宜紀公・一番の甲冑」についてや、「御救米」その他天明三年の飢饉時に関する新出の史料の説明を受け、会員の皆さんと共に読み下しを行った。これは史料の内の一枚、「人別銭」についての貴重な史料である。
覚
支配之浪人
一家内男女三人 大矢野杢大夫
但壱人前十五銅宛鳥目四十五銅
一家来男女十貮人
但壱人前三十銅宛鳥目三百六十銅
右都合鳥目四百五銅人別銭上納
仕候事
但毎歳十一月
櫨方
御会所
鳥目一銅(文)は、「一両=四分=四貫文=四千文」から一両を8万円と仮定すると1/4,000の20円である。
杢太夫の家族三人については一人「15文=300円」、家来十一人については一人「30文=600円」を毎年11月に上納せよとの事である。
これがいつから始まり、いつまで続いたのか判らないが、この資料が一連の飢饉に関する文書の一部であることから、飢饉の時期に限定していたものと考えたい。如何だろうか。