この人物に関してはこのブログで何度かご紹介した。朽木家8代の内匠昭久が定彦を順養子にしたいと考えたが、本人が頑として拒んでいる。私は定彦を内匠の養父・7代昭桓の実子だと考えたのだが、ブログをご覧になったHN式部様から、定彦は8代昭久の義兄(相聟)・興章の実子だとご教示いただいた。興章は宇土細川家7代立礼(後宗家10代齊茲)の末弟である。朽木家に養子として入ったが病身となり離縁して実方に帰った。定彦は宇土細川家の系図では宇土家の男子として紹介されているが、朽木家に残ったとされる。
なぜ定彦は朽木家の順養子となることを拒んだのであろうか。結果として細川刑部家の分家初代・興度の養嗣子となっている。
文政八年十月名跡相続 七百俵 中着座同列 番頭 用人 大目附 中老職など藩の中枢で働いている。自身は宗家十代当主・齊茲の甥であり、又刑部家における祖父・興彭は細川重賢の弟である。どういう想いがあったのか窺い知ることはできない。文久二年六月、64歳で死去した。
定彦をめぐる人間相関図
+ーーー重賢ーーーーー治年===齊茲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川宗家
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| 興文ーーー+---立禮(本家相続) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・宇土細川家
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| +---興章
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| 昭直==昭桓ーーー+==興章ーーー定彦 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朽木家
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| +==昭久 |
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+ーーー 興彭----+---興貞 | ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・細川刑部家(嫡流)
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+ーーー興度=====定彦 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同上 (分家)