乃木希典という人物は、明治10年(1877)の西南の役に出陣し、軍旗を失くすという大失態を為した。時に28歳である。
そして28年後、日露戦争(1904)に於いては将軍として、莫大な死傷者をもたらしながらも、なんとか日本軍に勝利をもたらした。
「露」とするのは当時の帝政ロシアである。ポーランドやウクライナなどを含む膨大な領土を有していたが、190余年に及ぶ帝政の終焉の13年前のことであった。
日露戦争に於ける敗戦は、帝政ロシア崩壊の一因となったことは間違いない。
後にサイレントの映画「戦艦ポチョムキン」で知られる「ポチョムキン号の反乱」が起ったのが、日露戦争終結の1905年の事だ。
2月革命(1917)によりニコライ2世が退位して帝政ロシアは亡びた。
今般のプーチンによるウクライナ侵攻は、かっての帝政ロシア時代の残影である「大ロシア」構想によるものであろう。
映画「戦艦ポチョムキン」は1925年に作られた、帝政ロシア崩壊後の共産党のプロパガンダの作品だと言われるが、帝政ロシア崩壊のエネルギーを見事に映像化している。
映画好きの方ならとっくに御存知の、ケビンコスナーの「アンタッチャブル」の乳母車が駅の階段を落ちていくシーン、大変印象的だがこれも「戦艦ポチョムキン」の二番煎じである。
オデッサの階段で、多くの民衆に帝政ロシア軍の兵士が発砲する中に、若い母親が優雅な乳母車に赤ん坊を乗せていて巻き込まれる。「撃たないで」という彼女の哀願の表情が印象的だが、容赦なく撃ち殺され、赤ん坊を乗せた乳母車は階段を弾むように下へ落ちていく。周りの人たちも銃弾の餌食になり、乳母車を止めようという人はいない。
反乱を起こしたポチョムキン号から発せられた砲弾が、帝政ロシア軍の牙城に着弾する。
圧政の下、市民たちの考えが変化して解放の原動力となっていく。
この映画を見ていると、ロシアの中でまた「ポチョムキンの反乱」が起るのではないかという予感めいた気持ちが湧いてくる。
帝政ロシアの終焉がプーチン政権の終焉に重なってしまう。そしてあの長い/\オデッサ(ポチョムキン)の階段は今どうなっているのかと想像している。