津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■戦艦ポチョムキンの反乱

2022-10-02 10:37:36 | 歴史

 乃木希典という人物は、明治10年(1877)の西南の役に出陣し、軍旗を失くすという大失態を為した。時に28歳である。
そして28年後、日露戦争(1904)に於いては将軍として、莫大な死傷者をもたらしながらも、なんとか日本軍に勝利をもたらした。
「露」とするのは当時の帝政ロシアである。ポーランドやウクライナなどを含む膨大な領土を有していたが、190余年に及ぶ帝政の終焉の13年前のことであった。
日露戦争に於ける敗戦は、帝政ロシア崩壊の一因となったことは間違いない。
後にサイレントの映画「戦艦ポチョムキン」で知られる「ポチョムキン号の反乱」が起ったのが、日露戦争終結の1905年の事だ。
2月革命(1917)によりニコライ2世が退位して帝政ロシアは亡びた。
今般のプーチンによるウクライナ侵攻は、かっての帝政ロシア時代の残影である「大ロシア」構想によるものであろう。
映画「戦艦ポチョムキン」は1925年に作られた、帝政ロシア崩壊後の共産党のプロパガンダの作品だと言われるが、帝政ロシア崩壊のエネルギーを見事に映像化している。

 映画好きの方ならとっくに御存知の、ケビンコスナーの「アンタッチャブル」の乳母車が駅の階段を落ちていくシーン、大変印象的だがこれも「戦艦ポチョムキン」の二番煎じである。
オデッサの階段で、多くの民衆に帝政ロシア軍の兵士が発砲する中に、若い母親が優雅な乳母車に赤ん坊を乗せていて巻き込まれる。「撃たないで」という彼女の哀願の表情が印象的だが、容赦なく撃ち殺され、赤ん坊を乗せた乳母車は階段を弾むように下へ落ちていく。周りの人たちも銃弾の餌食になり、乳母車を止めようという人はいない。
反乱を起こしたポチョムキン号から発せられた砲弾が、帝政ロシア軍の牙城に着弾する。
圧政の下、市民たちの考えが変化して解放の原動力となっていく。

 この映画を見ていると、ロシアの中でまた「ポチョムキンの反乱」が起るのではないかという予感めいた気持ちが湧いてくる。
帝政ロシアの終焉がプーチン政権の終焉に重なってしまう。そしてあの長い/\オデッサ(ポチョムキン)の階段は今どうなっているのかと想像している。

 

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■ネズミが一匹死にまして・・・

2022-10-02 08:35:54 | 徒然

 終活を進めている中で、古いPCとかマウスとか処分してしまおうと思うが、何か捨てきれないでいる。
私のPCへの入り込みは、CADからスタートしている。建築設計のアイテムの変化は私の現役40年ほどの間で劇的に変化してきた。
製図板にT定規から出発して、ドラフターが出現、しばらくすると左右にスライドするアームに上下する定規がついたドラフターがでた。その後プリンターに連動するに及んで製図機械は小型自動車が買えるような価格のものになってきた。
PCが登場するとCADが普及し、ソフトがいろいろ開発され、やや大きめのデスクトップの画面をみながら仕事に励んできた。
PCもいろいろ使っては処分してきた。今では15インチのノートPCがあれば十分事足りる。
データの保存も随分変化してきたが、私が設計に携わった作品のデータ保存も多岐に亘っている。
これらも、すべてUSBに変換して保存し処分しようと思っている。

話がそれてしまったが、マウスも随分買い替えた。現在有線2と無線2のマウスが4種類あるが、無線マウスが壊れてしまった。
どうも電池の接触部分が痛んだらしく、使い慣れていたので現在のマウスにしたが、親指の少々上に変な機能を持つボタンがあって、時々意に反してこれに触れ作業に支障をきたしている。
又、買い替えようと思ったりするが有線のマウスもある事だから、しばらくは我慢しようかとも思う。シッポ付き、シッポなしを一つづつ残して古いPCとともに処分することにした。

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