■先祖附の内容
永青文庫が収蔵する「先祖附」は、正徳四年(1724)四月に命が下されて作成に至っている。綱利最晩年の事である。(11月死去)大概の書き出しは「先祖何某」とか「私曽祖父何某」......
一年前こんな記事を書いているが、今回遭遇したK家一族3家の内の二男家の先祖附では新発見があった。
大概は嫡家が遠祖以来の事を詳しく書き、兄弟家、分家などはそれに倣うという事が殆どである。
処がK家の場合は二男家の先祖附に詳細が書かれていて、嫡家である祖母の実家の先祖附を補強することが出来た。
どうやらこれは、初代に男子がなく藩主の命により外孫に継承されたことが理由ではないかと考えられる。
私の推測だが、初代は案外二男家に3名の男子があったから、誰かを養子にしようと考えていたかもしれないと想像していたのだが、藩主の命があればこれに従うほかない。
一年前の上記記事の様に、「先祖附」がまとめられるのは正徳四年の頃であるから、4代目くらいになっている。そうすると分家筋などとの交流が疎かになっていると、遠祖の情報などを知らないで時を経たのではないかと思われる。
そしてその時間の経過は、兄弟や分家などの環境を越えて、それぞれの能力でその家の繁栄がみられたり、あるいは没落したりという現象が見えてくる。
私の「新・肥後細川藩侍帳」では、一族5~6家あるお宅などは、初代の兄弟順に記載するようにしているが、同じ苗字でも同族かどうかが先祖附ではよく判らない場合もあり、「家紋」などをチェックしてみると同族だったりして侍帳の記載順番の入れ替えなどの作業をしなければならないケースがある。
なかなか完成形にたどり着けないでいる。