尾籠な話で恐縮だが、昨日の夕食前突然突き上げるような吐き気を催した。
洗面所に走り、うがいを何度もして治まったが、夕食を抜き、薬を飲んでひとまず落ち着いているが、胃から喉元にかけて不愉快感が今も残っている。
今朝の朝食はヨーグルトを食べてお仕舞、お昼も抜こうかと思っている。
そして相変わらず左肩・腕が痛くてたまらないし、今朝ほどは落ち着いていた左足のこむら返りに襲われた。
昨日も書いたように、熊本は急に秋の気配である。まだ靴下も履いてはいないが、膝から下に寒さを感じるようになった。
雨も降ったりやんだりしているので散歩もお休み、今日はかたずけ物もお休みにして、安静に過ごそうと思っている。
過日、blogのUPが少し遅れた時に悪友から「生きとるかい」メールが入った。
「生きとります」の一言でも良いから9時前頃にはUPしろとの命令であった。
ストックを作ろうと思うのだが、それがままならぬ状態がつづいている。
高祖父・上田久兵衛が刎首の刑に処せられてから145年、そろそろ150年忌を迎えることになる。
ある方から、「萩の花がお好きなようですね」とメールを頂戴したことがある。
久兵衛の辞世の句の一つに「秋風ノタヨリニキケバ古サトノ萩カ花妻今サカリナリ」があって、これも大いに影響している。
萩の花が何となく好きになったのは、建築の世界に足を踏み入れてしばらくしてから、誰の著作かはしかとしないが建築に関する文章集を読んだ中で、日本に於ける庭の構成に「萩」は欠かせないといったことが書かれていた。
清水一の著作集だと思い込んでいたが、上下巻を再読しても見つからない。吉田五十八か村野藤吾あたりかもしれないが、いずれにしてもこれが不思議と頭に残った。
設計に携わった某病院の院長のご自宅の庭に、萩の花を見つけた時は大いに感激し、そんな話をしたことを思い出す。
亡き姉が嫁いだ先の家は、入り口から10mばかり本家さんの生垣がつづいていたが、これがなんと「萩の生垣」であった。
姉を介して一株もらい受けようと思ったが、これは実現しなかった。
先のメールでは、「株を一つお分けしましょうか」というお申し出であった。
大変ありがたいお話ではあるが、APのベランダではうまくいくか自信もないし、丁寧にお断り申しあげた。
植えようと思えばインターネットを利用すれば、苗木は簡単に手に入るのだが、庭がない暮らしでは簡単にはいかない。
大先輩のお宅を訪問した時、大学で日本画を学ばれたというお嬢さんが、見事な「萩」の絵をかいておられ額装して飾られていた。
ほれぼれするような作品で、今でもその構図が目に浮かぶ。
以来、「萩の絵」がインターネットで購入できないかと探しているが、気に入った構図の作品に出合わないこともあるが、金欠病の私には手が出ない値段のものが多い。
ただ、久兵衛の150年忌に当たっては、お墓のそばに「萩」の花を植えてみたいという思いが大いにある。
そして、辞世の句を標木にして建てたいとも考えて居る。長生きをしなければならない。