津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■桂離宮とモンドリアン

2022-10-30 12:57:48 | 建築

 私がよく拝見する感性の時代屋 Vol.2というブログ、ほんとうに美しい感性に満ちた素敵なブログだ。ブックマークを開いて、昨晩久しぶりに拝見した。
カテゴリーから2017年の「ぶらり京都」をいくつか眺めている内に、140・139と進んで、138 [桂離宮のモダニズム]があった。
この名建築・庭園の創建にあたられた八条宮智仁親王は、細川幽齋に古今伝授を伝受されたり、親王の姫と光尚の縁談があるなど深い関係が伺える。

ブルーノ・タウトにより「日本再発見」され世界に発信された感が強いが、建築を志す人はこの桂離宮は避けて通れない。
上記ブログに魅了されて豊かな気持ちにさせられた。

 全くの偶然だが、今朝のWEBニュースで「モンドリアンの絵が77年間上下逆さまに展示」というものがあったが、昨日の今日の話で少々びっくりした。

 桂離宮の建築や内装のしつらえはよくモンドリアンと対比して語られることが多い。
上記ブログ138に紹介されている写真を眺めると、よくそのことが理解できると思う。

まさか、桂離宮の「襖」が上下逆さまになる事はあるまいが、モンドリアンの絵ならばありうる話だと思ったことである。
宮内庁が管理するこの建物だから、残念ながら拝観がかなわない。精々写真集やこんなブログの素晴らしい写真で対面するほかない。

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■瑶臺院様御不例

2022-10-30 06:53:39 | 歴史

 瑶臺院とは細川治年室、宇土細川家・細川興文女である。男子二人があったが幼少であったため、治年は瑶臺院の実弟・宇土藩主細川立禮を跡目とする。齊茲である。
治年の男子成人の折には家督は譲られる約束であったが、若年にて死去される。
その瑶臺院の病気がすぐれず二本木邸にて養生をされている。
実の弟である齊茲は、供廻りが揃わぬまま姉瑶臺院の許へ一騎馬を走らせる。そんな有様がが諦了公遺事に記されている。

 瑶臺院様、御病気御勝れ成さざる節、火急に二本木に御出仰出されしに、御気遣の餘り、未だ御供廻らざる内、第一騎馳
にて御乗出し、石塘筋御乗切りの時分、川尻町御奉行境野嘉十郎馬上にて出府せしが、二本木町少しこなたにて、向ふを遙
に見しに、 公(齊茲)御一騎にて御出遊さるに付、扨はと驚き、横の小道に乗入れ、鞍坪に畏り居しが、若黨頻りに下馬
をすゝめけれども聞入れず、思ふ子細あればと、首をふり、彌馬上に畏り居候、早間近く成せられ、嘉十郎先を乗れと、高
らかに御意遊すと、直様本道に乗出し、御元乗に二本木御屋形の馬場にてひしりと下り、己が馬は打捨、 公の御馬の口を
取り、御玄關迄御供申上ける、瑶臺院様御不例に付ては、各別御心を用られしこと、此一條にても伺ひ奉るべし、
                                            諦了公遺事

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