津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(47)

2022-10-20 12:41:22 | 家紋

                                 

             肥後細川藩侍帳】の部

■小堀市平は、(南東40-7)小堀沿助家の6代目で郡代を勤めた。家紋は「   」
       当家を含め五家は小堀長左衛門を祖とする一族である。
■小堀平右衛門は、小堀流踏水術の(南東40-29)小堀清左衛門家3代目。茶道小堀家四代・長順からの分家である。

       名は濶看、通称平右衛門。藩に仕へ禄百五十石、兵法師範となり、特に居合長刀の師役たり。 
■小堀次郎助は、(南東40-18)小堀十蔵家の7代目である。
■小堀晋順は、茶道小堀家の6代目である。
■小堀九万次は、(南東40-27)小堀市助家の5代目である。

■小田原(こだわら)九郎左衛門は、(南東40-4)小田原武兵衛家の7代目・源之助(養子・九郎左衛門)で用人を勤めた。家紋は「三つ星紋」

■小畠伝之丞は、(南東40-16)小畠冨之助家、同名の人が多く人物の特定が出来ない。
       遠祖・小畠越前守は丹波の宍人城 (ししうど城 船井郡園部町宍人 )を築城したとされる人であると思われる。
       家紋は「   」「三つ柊巴」

■小崎加十は、(南東40-15)小崎太郎左衛門家の7代目・唯之允(嘉十・加十)。家紋は「左三つ巴紋」  
■小崎平八は、(南東40-13)小崎杢之助家の5代目。家紋は「丸に武田菱」「隅切り立角に左三つ巴紋」  
■小崎八之丞は、(南東40-14)小崎眞左衛門家の5代目である。家紋は「子持ち平角に左巴紋」

■小嶋伊左衛門は、(南東40-5)小嶋健太家の4代目・伊左衛門高満(養子 初・門次郎)。家紋は「五つ環に左巴紋」

■小林左七左衛門は、(南東40-3)小林平三家の7代目・鶴喜(茂八郎・半大夫・左七左衛門)か。
       「御知行被召上候 天保六年七月跡目断絶被仰付 高七百五十石」と記録が残る。家紋は「隅切り平角に蔦紋」
■小林勘太郎は、(南東40-23)小林貞之助家の7代目。家紋は「隅入り立角に蔦紋」
■小林半右衛門は、(南東40-6)小林十右衛門家の6代・7代が同名で人物の特定が出来ない。家紋は「隅立平角に六つ丁子紋」「蔦紋」

■小林伝之允は、細川家家臣略歴に名前が見受けられない。名前の誤植か・

■児玉十郎大夫は、(南東40-26)児玉太郎左衛門家の8代目・澄八(十郎大夫・太郎左衛門・次郎太郎)。家紋は「中陰唐団扇 」
■児玉円次は、(南東40-17)児玉安平太家の6代目・圓次。家紋は「隅切り立角に丸」「丸に唐団扇」

■合志角右衛門は、(南東16-23 か)合志弾蔵家の5代目・要助(角右衛門)。「   」ご教示を乞う。

■近藤角左衛門は、(南東40-32)近藤一太家の5代目。家紋は「角紋」?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■合志氏の家紋

2022-10-20 06:51:50 | 家紋

 次回の「御侍帳・家紋から考える」(47)で取り上げる家紋にまことに不思議な家紋があった。
合志市の由来ともなった、合志氏である。合志氏の出自の程は三説あって真偽のほどはしかとしないが、熊本の古い氏として有名である。
細川家家臣・合志氏もまたその子孫であることは間違いなかろう。
      
       すみたてよつめ 隅立て四つ目  十二日足車紋 | 家紋の和市場                                
                    四つ目結紋 十二日足紋            
「肥後讀史総覧」に紹介ある合志氏の家紋である。

        
こちらは、「御侍帳‐家紋入り」にある合志角右衛門の家紋である。誠に不思議な家紋で当然初見で、その名前が判らないのもまた当然である。
もし御存知の方がおられたらご教示賜りたい。
「凹」の字をひっくり返したような(一辺足らないが)中に、「三つ目」らしきものが入っている。
上記「四つ目結」に関連しているように感じられるが如何だろうか。現物は7.5㎜角程の大きさで、スキャンして拡大した。
これは合志家の方でなければ分からないのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする