先に書いた「八代城町絵図」とともに、行方不明だった「明治初年・内坪井之図」がでてきた。
これは「平成肥後国誌」を発刊された高田先生がお持ちだったものを、お借りしてコピーしたものだ。
先生がお亡くなりになり、コピー原本がどこへ行ったのか判らない今、貴重な資料となった。
B2判よりやや小さい66×47.5という大きさのものだが、もともとの図面が相当暗いし、壁に貼って写真撮影してみたが光が回らず、ますます暗い写真になってしまった。
コピー屋さんに持ち込み、USBに落とし込もうかとも思っている。そうすれば必要な方にお分けすることも可能になりそうである。
その内にそれぞれのお宅に№を打って、またご紹介しようと思っている。しばらくお待ちの程を・・・・・
ちなみに、左下やや上の部分に棒庵坂の書き込みが有りその右手に小豆坂がみえ、下ると蛇行する坪井川に折栴檀橋が架かっている。
西と書かれたやや上に東へ向かう道があるがこれが観音坂、橋の手前の左手にこの坂の名のゆらいとなった「観音堂」がある。
参勤交代はこの坂を下り、十字路を北へ進み右折、流長院南側からくる道の突き当りが松下家、外坪井(豊後街道)への出口を守った。
「東」の書き込みのやや下の道筋が「八百屋町」現在の広丁すじ、現在ではこれが西側の坪井川の大蛇行している処へ直進し、上熊本駅方面への幹線道路となっている。
下に「東」の書き込みがあるがこれは間違いで「南」が正解である。右手が千葉城である。