津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■発見・跡部家資料

2022-10-29 14:39:15 | 先祖附

 一生懸命さがしている細川家家臣に係わる史料で、世に出ているもので私が承知しているものの内、入手出来ていなかったものの一つが、跡部家のことに就いての論考が掲載されていた在野史論第九集(平成13年8月刊・歴史研究会)である。
ご子孫・跡部眞氏の論考「肥後細川家に仕えた我が先祖」が掲載されていることは承知していたが、手に入らずに来た。
今日の「家紋から考える」で跡部氏を取り上げた中で、そんな史料が存在していたことを思い出した。
何気なくググってみたら、ヤフオクその他で出品されている。そこで迷わず購入の手続きを取った。「念ずれば通ずる」

                  

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■習字のお稽古

2022-10-29 10:59:00 | 徒然

 資料の保管に重宝しているのが、設計事務所時代の遺物の設計図の原図を収納していたスチール製の引き出し棚である。
現在これに有象無象のいろんなものが重なり合って入っていて、行方不明の資料もここに鎮座しているのではないかと整理を始めた。
特段、これといった発見はなかったが、使い残しのトレーシングペーパーや習字の稽古用紙が束になって出てきた。
習字の用紙がこれだけ残っているという事は、随分ご無沙汰ということになる。
以前は古文書に親しむために、いわゆる御家流の文字を時折稽古をしていた。自分で書けば読むのも少しは上達するだろうと思ったが、上達していないところを見ると稽古が足りていないという事だろう。
面相筆もちゃんと持っているのだが、墨をするのが面倒くさいので、ぺんてる筆で書こうという手抜き状態である。
一日一枚を目指して用紙を取り出してサイドテーブルに出して見た。
右はかってお手本にしていた「草書前赤辟賦」、まったくためになっていない。

                 

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■御侍帳・家紋から考える(51)

2022-10-29 07:01:24 | 家紋

                         

                                      新・肥後細川藩侍帳【あ】の部

新居市左衛門は、(南東44-21)新居七右衛門家の6代目・新居蝶夢 名は保輝、市左衛門と称す。時習館訓導及び所々の郡代と成る。
       弘化二年十二月廿六日歿す、年七十一。家紋は「丸に違い鷹の羽紋」「隅切り立角に揚羽蝶紋」

跡部平蔵は、(南東44-20)跡部平八家の7代目。家紋は「七宝に唐花紋」「隅立角に平四つ目結紋」

愛教四郎次は、(南東44-又24)愛敬四郎次家の4代目か。ここでは「愛教」とあるが「愛敬」が本当である。家紋は「梅鉢紋」

雨森清太夫は、(南東43-5)雨森糟一家の5代目・雨森浅之助 名は正房、浅之助と称し、後清太夫又荘右衛門と改む。藩に仕へ食禄
       百五十石、小姓組たり。大力の士にして奔馬をも抱き止め居たり。文化八年七月廿九日歿す。享年五十六。墓は河原町延壽寺。
       家紋は「丸に橘紋」

青地源右衛門は、(南東44-7)青地源七家の6代目・守次(源右衛門)。家紋は「一文銭紋」

青木左九郎は、(南東44-5)青木 競家の5代目・左九郎(養子 後・権之助)、何が原因か文政三年三月廿日御知行被召上候 高四百石とある。
       家紋は「松笠菱に丸紋」

青木純記は、(南東43-11)青木掟次郎家の7代目。家紋は「隅入り立角に鬼州浜紋」

秋山正作は、秋山玉山を初代とする(南東44-13)秋山儀右衛門家の3代目である。家紋は「薬研紋」

天野善左衛門は、(南東44-26)天野善次家。同名人が多く人物の特定が出来ない。家紋は「隅入り立角に四つ目結紋」  

天草十大夫は、天草氏の末裔(南東44-9)天草次郎吉家の7代目・郡八(後・十太夫・甚助・勘右衛門)か。家紋は「隅入角に隅立四つ目結」

粟津嘉次郎は、【青龍寺以来】(南東43-3)粟津九郎家の8代目・寿平太(後・嘉次郎・三郎兵衛)。家紋は「隅切り立角に七宝紋」 

綾部四郎助は、(南東43-10)綾部蹇吉家の6代目・素川 名は正典、通称四郎助、藩に仕えて奉行職となる。安政六年八月二十日歿す。年七十九。
      家紋は「丸に鷹の羽紋」

麻生喜左衛門は、(南東43-1)麻生喜一郎家の5代目か?。家紋は「抱き柏紋」?  

阿部多膳は、(南東43-19)阿部重五郎家。4・5代目が同名で人物の特定が難しい。家紋は「二つ丁子巴紋」

有馬彦七は、(南東43-26)有馬源内家の2代目。家紋は「細丸紋」

粟津権兵衛は、【青龍寺以来】(南東43-25)粟津 平家。同名の人が多く人物特定に至らない。家紋は「隅切り角に稲妻菱紋」 

安達仁左衛門は、(南東43-22)安達藤助家の2代目。家紋は表示なし。

          新・肥後細川藩侍帳【さ】の部

沢村宇右衛門は、沢村大学の養嗣子・宇右衛門(松井氏)を祖とする【丹後以来】沢村大学嫡流家の(南東46-1)沢村衛士家の8代目・宇右衛門友輔(養子 実・友顕弟正氏嫡子 宇衛)。家紋は「石持地抜きに鱗紋」「   」

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