津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■ご紹介「忍者研究 第3号」

2022-10-05 17:27:51 | 書籍・読書

忍者研究 第3号
2020年8月31日 印刷・発行

【目次】

論文
戦国時代の忍びの実像(平山優)

熊本藩細川家の忍び(上田哲也)
「忍者・服部半蔵」の誕生(田村梨沙)
息長と簡易マインドフルネス訓練の比較(西村誠)

報告
書籍紹介:尼子騒兵衛「落第忍者乱太郎」とそのシリーズ(井上直哉)
二〇一九年の忍者界動向(福島嵩仁)
2019年忍者作品一覧(福島嵩仁・中津珠梨)
第3回国際忍者学会大会の講演・発表要旨
今号掲載の論文要旨

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■御侍帳・家紋から考える(45)

2022-10-05 06:39:37 | 家紋

                                         

              肥後細川藩侍帳の部

藤本伊右衛門は、(南東39-12)藤本吉太郎家の7代目・伊衛門(治部左衛門)か? 家紋は「隅立角に■■」
藤本八助は、(南東39-7)藤本九左衛門家の7代目・添(八助)。家紋は同上  
藤本亀之允は、(南東39-11)藤本学之助家の6代目。家紋は同上  

福田勝助は、(南東39-17)福田権兵衛家の7代目・勝之助、文化十一年一月~文政十年十二月 用人 文政十年六月杢平ト改名。
       家紋は「丸に浜洲」「隅切り平角に浜洲」紋。  


福田久右衛門は、(南東39-17)福田権兵衛家の6代目・勇記(久右衛門)。家紋は「丸に三つ柏紋」  

福田一八は、【丹後以来】 (南東39-14)福田平八家の8代目。家紋は「隅切り立角に隅切り陰井桁紋」  

福田平左衛門は、(南東39-16)福田抱一家の 8代目・平左衛門(十郎右衛門・十郎左衛門)。家紋は「違い角紋」  

福田次左衛門は、(南東39-15)福田三郎右衛門家の7代目・寿八郎(次左衛門)  
         文政十一年三月~天保三年七月 八代郡代 家紋は「隅切り立角に左三つ巴紋」 

不破万平は、(南東39-5)不破源次郎家の5代目、名は昌之、萬平と称し、観翁と号す。藩に仕へて食禄三百石、使番、川尻作事頭、
       江戸留守居、奉行職等の数役を勤む。当時其名高し。 
       家紋は「杏葉紋」「丸に不文字紋」 

不破大作は、同上分家、(南東39-6)不破小兵衛家の3代目。文政五年頃葦北郡代を勤めた。家紋は同上。  
不破兵太夫は、(南東39-4)不破太直家の9代目・数太(平大夫・太直)
          文政十一年十二月(三拾挺頭)~天保十一年九月 中小姓頭
          天保十一年九月~天保十二年十二月(病死)小姓頭 家紋は「丸に不文字紋」
 

不破五郎右衛門は、(南東39-3)不破仁三郎家の6代目・大次郎(五郎右衛門)。家紋は「   」「伍文字紋」  

福間恵迪は、御医師 (南東56-25 医)福間東海家の5代目、御用人支配・外科、金瘡師役兼 百石御蔵米
       家紋は「■■文字紋」

古庄角之允は、(南東39-9)古庄三郎家の5代目、もしくは7代目。家紋は「三つ星紋」  

古庄養拙は、御医師(南東56-23 医)古庄養拙家の5代目。家紋は「隅切り立角に二つ丁子巴紋」    

古市宗庵は、御茶頭(南東59-4 茶・鷹・馬)古市宗安家の7代理庵(宗庵)。千利休の女婿・円乗坊宗圓の女婿・宗庵
       を初代とし、利休正統のお茶道を伝えた。後・茶道肥後古流・家元の家であるが、後高弟、武田智徳に継
       承せられた。家紋は「   」「上り藤に一文字紋」    

古屋十次郎は、(南東64-10 *)古屋台輔家の2代目重次郎。古屋昔陽 名は鬲、字は公款、重次郎と称し、昔陽と号す。愛日斎の弟
       にして江戸に住し子弟を教授す。後兄の後を継ぎ細川藩に仕へて食禄百石を賜り儒臣となる。
       家紋は「六角に唐花紋」  

古山常助は、(南東39--26)古山文内家の6代目。家紋は「隅切り平角に蔦紋」  

船津猪平太は、(南東39-27)船津東平家の2代目・猪平太(喜右衛門)か。家紋は「丸に隅立角紋」  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする