「秋は夕暮れ・・・」燃えるような夕焼けです。明日は良い天気でしょう。
阿弥陀様の極楽浄土の世界が十万億土を隔てた所にあるのだそうです。
「秋は夕暮れ・・・」燃えるような夕焼けです。明日は良い天気でしょう。
阿弥陀様の極楽浄土の世界が十万億土を隔てた所にあるのだそうです。
「御侍帳・家紋から考える」が50回目になったが、家紋の名前を調べていると全く判明しないものが多々ある。
また、それぞれのお宅を改めて調べてみると、随分見落としていたものや新たな発見があって大いに考えさせられる。
あと16回ほど続きそうで何とか今年中にケリをつけたいと思うがどうだろうか。
わが「新・細川藩侍帳」は、そんな過程での新たな発見などを反映させながら、いまだ増殖を続けている。
最近ではあるお宅からのお問い合わせで、「有禄士族基本帳」との関係を反映させないと、「ご先祖探し」には直接結びつかないように感じてきた。
そこで、直近で行動しようと考えて居るのは、「有禄士族基本帳」に「改正禄高等調」を紐付けすることだ。
そうすると、明治三年以降の記録を侍帳に反映させることが出来る。
PCとUSBを持って図書館に出かけ「改正禄高等調」のその時の当主や先代、次代などの記事を「有禄士族基本帳」に書き入れようと考えた。
実は私は、有禄士族基本帳に何名の名前があるのかを承知していない。
まずはPCの中にあるデータをUSBに落さなければならない。これは私自身では出来ないから、長男に頼まなければならない。
肩が痛いの、歩けないのとは言っていられないなと、本気になりつつある。我が「新・細川家侍帳」を大いに進化させなければならない。
■浅井理助は、浅井長政の子・万菊丸を祖とする(南東43-2)浅井新九郎家の5代・吉十郎(後・五左衛門・理助)。
■朝山恩地は、(南東43-13)朝(浅)山亀太郎家の5代目・恩地(後・斎之助)。家紋は「亀甲に丙文字紋」
初代・斉助(景吉)は忠利の側近で2,822石小姓頭を勤めた、
実兄は後水尾天皇の侍講を勤めた朝山意林庵である。
2代目次郎左衛門は寛文九年の陽明学徒の追放事件に於いて御暇、京都に隠棲した。
3代目は次郎左衛門の孫で齊茲公代の召し出しである。
■芦村八百八は、(南東44-6)芦村嘉左衛門家の7代目・八百八(後・十郎左衛門)1,000石。家紋は「丸に結び雁金紋」
■芦田平吉は、(南東44-11)芦田七右衛門家の4代目・平吉(後・七右衛門)である。400石。
家紋は「丸に浜洲紋」「丸に石竹紋」
■寺生左助は、・・・・・・・ 誤植か(て)の部参照されたし・・・・・・
■安藤十郎右衛門は、(南東44-12)安藤(東)十郎家。同名の人物が多く人物の特定が出来ない。家紋は「丸に登り藤紋」「細丸紋」
■安藤清助は、 不明
■安東弥左衛門は、(南東44-10)安東(藤)弥太郎家の9代目・一八(弥左衛門)か。「丸に丸文字紋」
■安東角左衛門は、(南東43-8)安藤(東)■也(■=(虫扁に芋・ばいや)家の4代目・貞之允(角左衛門)か。
家紋は同上
■安東角之允は、(南東44-15)安東(藤)角之允家の4代目か。家紋は同上
■荒瀬市之允は、(南東43-9)荒瀬軍次家の9代目。家紋は「丸に一文字紋」「蛇の目紋」
■荒瀬角兵衛は、(南東43-21)荒瀬番蔵家の7代目・角之允(角兵衛)。家紋は「隅切り垂れ角に地紙紋」
■荒木助左衛門は、荒木山城系【丹後以来】(南東44-4)荒木慎十郎家の6代目・熊八(後・助左衛門)。
家紋は「六角井桁に左巴紋」「隅切り平角に 紋」
■荒木善兵衛は、荒木村重の子善兵衛を祖とする【丹後以来】(南東44-8)荒木善右衛門家。善兵衛名乗りの人が多く人物の特定が出来ない。
家紋は「木瓜紋」「 」
■荒木四郎助は、 不明
■荒木万蔵は、(南東43-16)荒木新三郎家の4代目。家紋は「隅入り平角に菱紋」
■荒木権平は、(南東43-24)荒木権内家の初代(新規創家)か?。「亀甲に浜洲紋」
■荒見次郎助は、【丹後以来】(南東43-12)荒見慎之助家の6代目。「五つ木瓜紋」