津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御侍帳・家紋から考える(48)

2022-10-22 06:09:26 | 家紋

       

         新・肥後細川藩侍帳【こ】の部       

■近藤英助は、(南東40-28)近藤謙之進家の5代目、近藤淡泉 名は昌明、字は子中、通称英助、淡泉と号す。藩に仕へ禄七百石、初め医員となり。
       後寛政十二年時習館訓導となり、数年にして郡代に転じ、更に府学時習館に入り天保十二年教授職に任ぜられ、六教授の一人たり。
       三代に仕へて服職六十年、恪勤精励終始一の如し。嘉永五年九月十三日没す。年七十九。春日萬日山に葬る。
       家紋は「組み合わせ角に上文字紋」

■古原武左衛門は、(南東40-24)古原信次郎家、同名人物が多く特定が不可能である。家紋は「   」

■古閑儀助は、(南東40-33)古賀作十郎家の3代目。家紋は「亀甲に三つ柏紋」

■小泉丈助は、(南東64-26 *)小泉奥助家2代目、尉助。家紋は「   」

■後藤源左衛門は、(南東40-34)後藤惣左衛門家の5代目。家紋は「   」

■駒井軍馬は、(南東64-24 *)駒井軍馬家の8代目。家紋は「隅切り立角に三つ星」

         新・肥後細川藩侍帳【え】の部

■江藤又左衛門は、(南東60-12 一代御中小姓)江藤 武家の6代目・辰次郎(又左衛門)。家紋は「五つ環に剣片喰」

■恵良卯八郎は、(南東42-9)恵良発太家の6代目・卯八郎(長助)。家紋は「亀甲に三つ雁」

■江良丹七は、「細川家家臣略歴」には名前が見えないが、次のような記事がある。
       天明九年十二月:江良丹七儀、親半内数代下益城杉嶋村江居住仕居申候処、丹七儀今度跡目被仰付候付、熊本江引出相勤
       申筈候江共、半内儀寸志差上御知行被下置候付、丹七儀父半内代ニ奉願候通、無年限在宅被御免置候様有之度、組頭より
       半切添書を以達付而之事  (熊本市史資料編第三編p254在宅願頭書)家紋は「   」

■江嶋伝四郎は、(南東42-5)江嶋 傳家の7代目・貞松(傳四郎)。家紋は「隅切り立角に浜洲」
■江嶋伴之允は、(南東42-7)江嶋 備家の5代目。        家紋は同上。

■江村悰珉は、御医師 (南東56-26 医)江村悰益家の6代目。家紋は「木瓜に  」「三つ石」   
■江村柳渓は、御医者 (南東56-27 医)江村萬春家の5代目。「三つ石」

■遠藤見寿は、(南東64-32 *)遠藤快珉家の4代目。家紋は「下り藤紋」

         新・肥後細川藩侍帳【て】の部
■寺崎俊都は、御医師(南東57-25 医)寺嶋宗澤家の4代目。家紋については表示なし、不明。

■寺本順次は、(南東42-23)寺本 登家の5代目、沖津弥五右衛門景一ノ後妻ノ連子・四郎右衛門の二男を祖とする。
       家紋は「卍紋」

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