津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本弁講座・いなう

2022-10-13 11:32:02 | 熊本

 散歩道の途中にスーパーマーケットがある。日曜日や祝日はお休みというユニークな店だが、これは市場が休みだという事と、社会人野球の選手(熊本ゴールデンラークス)を店員として多く抱えて居り、その練習時間を確保するためらしい。
オーナーは九州アジアプロ野球リーグの「火の国サラマンダーㇲ」のオーナーでもある。今年はリーグで優勝した。
そんなお店はいつもの事だが、平日だというのに大賑わい、駐車場待ちの車も見えた。
通りかかると、私より年上と思われるご婦人が、荷物を背に担げて歩いている。向こうから自転車のご婦人がやってきて、知り合いと見えて声を掛けた。
「どうかああたは、荷物ばいのうて・・」「下げちいくと腕ん痛(いと)なるけん、こるがいちばんよか・・」

 久々に「いのう=いなう」という言葉を聞いた。「いなう」は「担う=になう」の熊本弁、もう死語に近い。
私はあまり熊本弁が好きではなかったが、娘が大学時代、方言の研究をされる教授の下であちこち出かけて、方言の採取、聞き取りをしていたことから、そういう対象で見るようになった。
大阪泉州地方や九州筑後あたりでも使うようだが、いつどこで、どのよような形で変化を遂げたのか興味深い。
いつまで残るのかを調べるのも面白かろう。がんばれ方言・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■八代地図散歩

2022-10-13 07:53:09 | 先祖附

 相も変わらず左肩・腕の痛みが続き、夜中寝返りを打ったりすると目が覚めてしばらく眠れない。これが4・5回あるから睡眠不足が半端ない。
勢い昼間椅子に腰かけた状態でうとうとすることになる。
今朝も同様で4時ごろに痛みで目が覚めた。解決策は痛いことを意識せずに、気を紛らわすために他の事を考えることにする。
今朝は昨日ブログで書いた八代の城下町の事を考えて居た。

そういえば資料整理の中で、八代の「八代城絵図」はどこにいったのだろうと思い至った。
そうすると目はさえわたり、6時前には起き出して、まだ手がついていない押し入れの一画を探し始めた。
奥まったところに、長い紙の筒がいくつも入った段ボールがある。
ここにその「やつしろ文化財シリーズ④ 八代城跡保存管理計画-八代城町絵図」があった。A0版の大きな地図で、八代市街地図の上に旧城下の城跡・町筋がカラー印刷で落とし込んである。この地図を以て八代の町を歩いてみたいという願望があるが、あまりにもデカい。それこそ「ミウラ折」にでもしなければ、持ち運びは出来ない。
昨日の「八代城元和六年建築之圖」や、八代の干拓の歴史の絵図などをくらべてみると、その時代の痕跡が地図上に見て取れる。
熊本で一番低い「白島山(はくと山)19m」、高島は三番目だそうで33m、それぞれにそんな過去があったことを皆さんご存知だろうか。

宝暦6年には萩原堤が決壊し、稲津弥右衛門が7日間で1㌔に及ぶ堤を完成させたことは、今日でも語り継がれている。
先年の人吉・球磨地方の大水害は多大の被害をだし、県は数十年ほったらかしであった川辺川の治水問題を、ダム建設に大方向転換して計画が進行している。
この計画の中では、下流部八代の萩原堤の保全が一大命題となっている。

宝暦の大水害はこの萩原堤(当時はハゼ堤)を決壊させ、水は千丁村(現・八代市)まで達したというから、大蛸川に落ちたのだろう。
いろいろ妄想の世界に入り込み、地図散歩を楽しもうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする