津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

明日の月蝕は・・?

2010-12-20 23:01:13 | 徒然

 御地のお天気は如何ですか。今日の熊本はTシャツ一枚で遊ぶ子供達がいるくらい、暖かい一日でした。月も煌々と輝いて、この月が明日は皆既日蝕に成るのだそうで、不思議な感じがします。過日訪ねた宮崎県高千穂では、いわゆる天照大神が隠れられたという天岩戸は拝見できませんでしたが、この話は日蝕なのでしょうが、古代人ならずとも畏敬の念にかられますが・・さて明日のお天気は如何でしょうか??
                   http://www.astroarts.co.jp/special/20101221lunar_eclipse/index-j.shtml

 

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極度の筋肉痛

2010-12-19 22:50:32 | 徒然

 昨日の自画自賛が恥ずかしいくらいに、今日は筋肉痛・腰痛・右手の打撲痛がきわまり、何をする気にもなりません。いろいろ書きたいことがあるのですが、今の状態ではうさぎが笑う(?)来年になりそうです。年賀状の準備もまだですし、どうしよう・・・・と、悩み深い想いです。今年も残すところ後十日ちょっと、反省の一年でした。(来年も同じことを言うのでしょう)

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受身

2010-12-18 22:01:47 | 徒然

 昨日はとうとう休んでしまいました。実は石段を踏み外し前のめりに転倒、我ながら見事な受身で今日は体が少しこわっていますが、なんとか元気です。ところが全体重を右手で受けたため、甲の部分を強打し切り傷を負い、晴れ上がってタイピングが出来ない有様でした。
今日もずきずき痛いのですが、なんとか指一本でタイピングしています。

 私は柔道はしたことが無いのですが、母の姉婿が講道館九段という猛者で、やれやれと随分いわれましたものです。どうも私の性には合わずやりませんでしたが、昨日の受身の見事さは自画自賛に値します。普段車の運転を含め外出の際はめがねはしないのですが、昨日はめがねをして歩いたので視界がぼやけ、石段二段を踏み外しました。
一瞬骨折したかなというような痛みが右手に走りましたが、別段異常はなさそうです。
爺になるとわずかな段差に足をとられてひっくり返る事故が良くありますから、私も今後十分気をつけなければと反省しています。

 ブログの皆勤は至難の業です。・・・・・・・・・・・・・反省しきり

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特集 戦国史を知るための100冊

2010-12-16 23:16:41 | 書籍・読書
中央公論 2011年 01月号 [雑誌]
 
中央公論新社

中央公論社のサイトを眺めていたら、1月号にこんな特集を組んでいることに気づきました。
明日でも近所の本屋さんに駆け込むことにしましょう。

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子規の宇宙

2010-12-16 23:08:19 | 書籍・読書
子規の宇宙 (角川選書)
子規の宇宙
角川学芸出版

 またまた長谷川櫂氏の俳句の本です。
 最近は布団の中で句作をしています。気が付くと夢の中という感じですが
 朝目が覚めたときに一句・・・・というわけには行きませんねー。

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歴史ヒストリアを見る

2010-12-15 22:47:01 | 歴史

 ここ数日はやはり忠臣蔵ですねー。歴史ヒストリアを見ながら思ったのは、残された肖像画に一番近いのは片岡千恵蔵かな等と思いましたが、いかが思われますか・・・
熊本は細川家が多くの義士をお預かりしたことで、いろいろ資料が残されていますし、堀部弥兵衛の親族が家臣と成っていますからこちらにも史料が残されています。
先月来熊された赤穂義士研究家のS氏は、それらの史料が残されている(財)島田美術館を訪ねられてその史料を御覧になったようです。
弥兵衛の介錯を務めた米良氏のご子孫K氏は、我がサイトでご紹介している「コーヒーブレイク・エッセイ」のエッセイストである。
お二人には本当に奇しきご縁で親しくお付き合いいただいている。
忠臣蔵に「感謝」の関係である。

私の三人の子供達が通った熊本市立花園小学校には、何故か赤穂浪士が使ったという大きな手水鉢が校庭に置かれています。由来など調べなければいけませんね~。

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忠臣蔵のことが面白いほどわかる本

2010-12-14 22:51:34 | 書籍・読書
忠臣蔵のことが面白いほどわかる本―確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!
山本 博文
中経出版

 今日は赤穂浪士討ち入りの日、新暦とはいえ明日は「雪」になるところが多そうですね。
この時期になると長谷川一夫の、「各々方討ち入りで御座る」をちょっと真似しいたりして・・

 

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お金から見た幕末維新

2010-12-13 23:13:36 | 歴史
お金から見た幕末維新――財政破綻と円の誕生(祥伝社新書219)
渡辺房男
祥伝社

【本の内容】
幕府から政権を奪ったものの金はなく、明治政府は財政破綻からのスタートだった。同じ日本でありながら東国は金貨、西国は銀貨が流通し、それぞれの品質も違えば交換相場も日々変わる。おまけに各藩が発行した藩札の処理。近代国家を目指す新政府にとって、焦眉の急は、単位が統一された通貨制度の確立にあった。だが、その道は困難を極め、財政的な綱渡りを繰り返していく。「円」は明治四年になってやっと生まれ、日本銀行は十五年に誕生。初めての紙幣が発行されたとき、明治はすでに十八年になっていた。新政府の財政を立て直し、国の根幹をなす貨幣制度を作りだした、大隈重信、渋沢栄一、松方正義ら、経済官僚たちの創意工夫と苦闘を描く、もう一つの幕末維新史。
【目次】
第1章 幕末の財政破綻—戊辰戦争の軍資金は、いかにして調達されたか
第2章 新政府、苦肉の財政立て直し—三岡八郎の登場と太政官札の発行
第3章 「円」は、いかにして生まれたか—大判小判の世界から、新貨幣の世界へ
第4章 日本初の貨幣鋳造工場—近代化への生みの苦しみと、大隈重信の執念
第5章 藩札、太政官札の退場—箱館戦争の終結、中央集権体制の確立へ
第6章 「明治通宝」札の登場—初の「円」紙幣発行、通貨統合の完成
第7章 「国立銀行」誕生の怪—なぜ、一五〇種を超える銀行紙幣が発行されたのか
第8章 最初の肖像は神功皇后—悲願の国産紙幣が印刷機にかかるまで
第9章 松方財政と日銀の誕生—二〇年かけて完成した通貨流通体制

    

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江戸絵画の不都合な真実

2010-12-12 20:49:08 | 書籍・読書
江戸絵画の不都合な真実 (筑摩選書)
狩野 博幸
筑摩書房

【本の内容】
近世絵画にはまだまだ謎が潜んでいる!又兵衛、一蝶、若冲、蕭白、芦雪、岸駒、北斎、写楽を取り上げ、その作品を虚心に見つめ、文献資料を綿密に読み解くことで、社会的・政治的・文化的「不都合」として隠蔽された「真実」を掘り起こす。特異の絵師たちの等身大の人間性を深く掘り下げ、絵画に隠された意味を読み解く刺激的試み。

【目次】
岩佐又兵衛—心的外傷の克服
英一蝶—蹉跌の真実
伊藤若冲—「畸人」の真面目
曾我蕭白—ふたりの「狂者」
長沢芦雪—自尊の顛末
岸駒—悪名の権化
葛飾北斎—富士信仰の裾野
東洲斎写楽—「謎の絵師」という迷妄
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ちょっと前の日本の暮らし

2010-12-12 18:25:13 | 歴史
ちょっと前の日本の暮らし (中公新書ラクレ)
中川 誼美
中央公論新社

  

【本の内容】
かつての日本の暮らしを再現したお宿「吉水」を経営し、海外でも評価された著者が、現代社会に生きる人たちに贈る一冊。温かい暮らしを取り戻すために出来るヒントの宝庫です。
【目次】
第1章 「ちょっと前の日本の暮らし」とは(ちょっと前の日本の家族の暮らし五感を育てた
      ちょっと前の日本の暮らし ほか)
第2章 宿屋から発信する「ちょっと前の日本の暮らし」(美しい宿屋との出会い宿業実行
      への決心 ほか)
第3章 都会で体験できる「ちょっと前の日本の暮らし」(東京・銀座から発信する「ちょっと
          前の日本の暮らし」
     「ちょっと前の日本の暮らし」にあった安全な食材と料理 ほか)
第4章 「ちょっと前の日本の暮らし」が体験できる宿の誕生(地方活性化のためにできる
      こと
     「ちょっと前の日本の暮らし」体験宿の誕生 ほか)
第5章 これからの日本の暮らし—発展より充実を(二千六百キロの課外授業生産者との
      つながりを意識する ほか)

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今年最後の史談会

2010-12-12 17:26:23 | 歴史

 今年最後の史談会例会に出席、有吉文書の勉強である。膨大な有吉家の史料のうちの一部「年中行事抜粋」のほぼ半分ほどに達したようだ。
毎度の事ながらその作法の煩雑さに驚かされ、性格がいい加減な私にとってはとても正確には出来そうにもないと思ったりしている。
用人の権限の大きさや、それぞれの役人の専門分担が細やかに定められている。 

 そういえば重賢時代のはなしとして、次のような話がある。
「宝暦の初、元日御禮の為め、人々花畑御殿に参集せしに、公禮服を着し廣間に出、之を受け給ふ、時に用人竹原勘十郎、小姓頭を督して、諸士の拝謁を促し、甚しく督責しければ、下座にありし志水才助大に怒り、大声にて玄路(勘十郎)を叱り、其の無禮を咎めぬ、是れ館中の禮は、小姓頭の掌るところにして、用人たるもの之を促するは、職務を冒涜すとの意なり・・・・」 勘十郎も随分頭にきたようだが、後には才助が家督の後奉行になすように重賢公に推薦したという。 職分の厳然たることをうかがい知る有名な逸話である。

 有吉家文書は、わが史談会に初出史料として提供されたもので、大学その他の研究者の未見の史料であり、この資料を通じて城内や花畑屋敷、藩校、神社仏閣、その他の諸式の有様が良くわかる貴重な史料である。感謝。

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鉄砲を手放さなかった百姓たち

2010-12-11 21:08:18 | 歴史
鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで(朝日選書)
武井 弘一
朝日新聞出版

       
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ELVに閉じ込めらる

2010-12-10 23:02:32 | 徒然

 初体験である。

仕事で出かけたある施設で、二階から下るELVに乗った。書類を忘れてあわてて取りの戻るためにELVに走りこんだ。1階のボタンを押すといきなりELV内の電気が消えてしまった。「おいおい勘弁してくれよ」と思いながら手探り状態であるボタンを押すと、緊急用のボタンで管理室につながった。こちらはそもそもが建築屋だからELVについては、いささかの知識はある。あわてないことだと思いながら、縷々説明する。10分には満たない時間だが、インジケーターの明かりだけで真っ暗闇の中である。しばらくするといきなり点灯、ELVのドアが開いた。私はどうやら乗り込んだ階で立ち往生していたらしい。乗り込んできた人に、「私閉じ込められていたんですよ」と声をかけると、不振そうな面持ちである。書類を取りに歩き出すと走ってくる人が在る。ELVの保守の係りらしい。また5・6分事情聴取され、担当者も首をかしげている。・・・「閉じ込められてのは本当ですよ」と声を荒げてしまった。

 年収めのこの時期、とんでもない初体験をしてしまった。

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阿蘇冠雪す

2010-12-09 23:19:23 | 熊本

 所要で外出した折阿蘇の山を見ると、高岳や根子岳が冠雪して白く輝いていました。先月数年来の付きありながら初対面のK氏・S氏が来熊された折、思いつきのままで阿蘇の頂上を目指した。火口が覗ける活火山は世界的にも珍しいというが、私も久しぶりに覗き込んでみたりした。その山上あたりが今日は雪で観光客の皆さんも、さぞかし吃驚されたことだろう。今年は暖かくていいねー等とのたまっていたら、一転の寒さとなった。近郊の農家は今は路地物のニンジンの収穫の真っ最中である。私はといえばいささか忙しくて、ブログもなんだか本物ではなく・・(お気づきかもしれないが)・・、大変申し訳ない感じである。
本年最後の史談会が今度の日曜日にあるので、その後は又力を入れて年末を飾ろうと思っている。
             白々と阿蘇冠雪す今朝の冷    津々

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江津花壇

2010-12-08 22:48:47 | 徒然

 旧細川内膳家の下屋敷を「江津花壇」と呼ぶ。現在熊本県立図書館が建っているあたりである。CiNiiに、延藤 二三子 ・李 樹華両氏による 「熊本市にある旧江津花壇(旧砂取邸)庭園の変遷に関する研究」がある。これを読むと調査に出向かれた祭、県の関係者が「江津花壇」の何たるかをまったく知らなかったらしい。両氏の論文により醜態を暴露された形になっている。しかしよくよく考えると、知っている人のほうが稀有なのかもしれない。

            http://ci.nii.ac.jp/naid/110004307994

 図書館をよく利用し、時には周辺を散策するのだが、どうも旧「江津花壇」がうまく利用されていない気がする。もともとの計画が如何だったのか、いまさら何をかいわんやであるが・・・
ボリューム的にも少し小さくなってきたし、ゆくゆくは「公文書館」などの建設もお願いしたいものだ。博物建設の話も頓挫しているし・・・・これじゃー「文化都市熊本」の看板が泣くぞ・・・

 

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