津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「地獄極楽御倹約仰出候事」その3

2019-09-16 12:58:34 | 史料

                                                      

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■設楽君の失敗

2019-09-16 10:28:47 | 徒然

 今日は藤崎宮の秋の例大祭、武者行列や馬追いを見ようと多くの人が出かけられることだろう。
昨日の桜町の再開発ビルのオープンは10万人25万人の人出があったというから、今日はこれ等と相まって街中の賑わいはさぞかしであろう。

私はといえばそんな喧噪は苦手だから御免蒙り、朝食後ゴミ出しを兼ねて朝の散歩に出る。
ふと気が付くと帽子を被っていなかったことに気が付いたが、ママよとばかりに歩き出す。
秋晴れの良い天気で、しばらく歩くうちに天頂ががんがん焼けて何とも難儀なことになってきた。
1時間コースを急きょ30分コースに変更したが、まったく日影がない。
タオルでも持っていれば頬っ被りでもする処だがこれもなく、何とか歩き通して帰宅する。


 昨日はTVでオリンピック選考のマラソンを観戦したが、設楽の飛び出しには驚いたが、途中で氏が帽子を被っていないことに気づいた。
これはまずいでしょうと思っていたら案の定ガクンとスピードが落ち、瞬く間に二位グループに追いつかれ、なおかつ取り残されてしまった。
暑さは体力を奪う。これは氏の完全なる作戦の失敗だろう。あとはほかの試合に出場して日本新記録で一位になるしかない。
頑張りを期待したい。

 今日のこの暑さだと、お祭りの見物も、再開発ビルの見物にしろ、大いに用心して臨まなければ熱中症の心配が大いにある。
皆々様ご用心めされよ。

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■元和拾年 萬覚書(21)

2019-09-16 06:22:49 | 細川小倉藩

                                (元和十年三月)十二日

         |
         |一、十二日 晴天 矢野助二郎 道倫〇 当番、朝曇
高札板調整    |一、牛市高札板、けつらせニ遣候事
麦年貢ノ触状   |一、麦年貢ノ触状、被調候事
         |        
嶋村某ノ売家   |一、嶋村九郎家直〇相済候書物調、溝口理兵衛御弓ノ四左衛門登城、其分ニ、かいて次第ニ、うり
         |  可申由、被申渡候事
         |
薮政三ノ借米懸銀 |      (薮)
大坂普請役    |一、中津へ、薪三左衛門御借米・御かゝり銀、大坂役之儀、返書被申事
         |
不破忠左下僕喧嘩 |一、不破忠左衛門僕、中津ニ而喧仕候者ニ、同道仕、参候ニ付而、中津ゟ申来、去春籠者被申付候、   口篇に花→嘩
         |  然は、御上洛前ニ、中津へ相尋、■其時之者出候は可出旨、被仰置候内、未尋不遣候而、十一日
入牢発病ス    |  ニ相煩候由、籠番申来候ニ付而、御町奉行吉田少右衛門方へ被申入、町医師そうぜヲ遣、脉ヲ被
         |                                          
         |  取候へバ、明十二日ニ登城候而、療治難成由、申候へ共、是非薬一服与へられ候様ニと、申付候
         |  事
田川郡代官山村某 |一、田川郡御代官、山村六左衛門相煩候而、御代官成間敷通、林與兵衛申候ニ付、御代官ヲ入替可申
病気勤務ナリ難シ |  由之事
         |                (由良、淡路津名郡)
忠利由良ニ泊ス  |一、杉武兵衛大坂ゟ罷下、 殿様ニハゆらニ而、懸御目候由、御普請之様子ハ、御直ニ申上候由之事
         |
築城下毛郡代交替 |一、推築城・下毛ノ御郡代易候ニ付而、万叓之御算用、御惣庄屋・御郡代御郡参、仕直、可相済、其
ニ万算用ハ惣庄屋 |  〃
郡代郡ニテ済スベシ|  間ハ、大坂御普請役可被引との事
         |                    弐人
百姓未進ノ質ニ女 |一、田川御郡代林與兵衛登城ニ而、御蔵百性〇未進御座候ヲ、女房ヲ人質ニ取置候へバ、女ヲすて、
房ヲ取ラレ走ル  |  走候、如何可被仰付之事    〃 
寛永改元     |一、同、右之杉武兵衛、年号相易候由ニ而、式ア殿・頼母殿ゟ之状、号、寛永之事、
         |
忠利留守中吉山福 |   (吉山)
満預ノ城門ノ施錠 |一、福満預りノ御門、御留守中ハ、ゑびをおろし可申旨、津川四郎右衛門殿・矢野利斎へ、両度御
ヲ命ズ      |  聞之由被仰聞せ候由、申渡候ニ付、今夕ゟ、御門たてさせ可申との儀候事
         |  〃〃〃
         |              (師)                          
物師ノ裁縫見込ナ |一、北ノ御丸ニ、被置せ候御物仕之内、二人役ニ不立候者御座候、志加殿と談合仕候ヘハ、とかく仕
キ者ヲ召放ス   |  ならい候ても、御用ニ立候様ニハ、ぬい物成間敷候間、御扶持放可申之由、矢野利斎申候事
         |
         |      (仕脱・荒仕子、右同
門番減員     |一、同所ニ、荒子壱人・御長柄ノ者壱人、合弐人、被付置せ候、荒子壱人ニ而、可然由ノ由、利斎申
         |  候事
         |           (田中氏久)(野田幸長) 
小倉町人忠利ノ許 |一、当町人無御意、米を猪兵衛・小左衛門なと御家中借遣候分、御貸米・種米之内なとにて、押取遣
可ナキ貸米無用  |             (国遠)      
書状ヲ求ム    |  候事無用之由、奉行衆・道倫申候処ニ、猪兵衛・小左衛門申候ハ、左候ハヽ、各ゟ両人へ書状ヲ
         |  給候へと申ニ付、各同心ニて、状を可遣之由候事
         |

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■「地獄極楽御倹約仰出候事」その2

2019-09-15 10:16:49 | 史料

                                                       

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■屏山先生家難

2019-09-15 07:47:12 | 史料

 水足半助安直は「屛山」と号し、1,000余の門人を有する儒者である。享保十七年四月九日「家難」により不幸なる死を遂げた。昧斎漁軒、成章堂等の別号あり。浅見絅斎に学び經義文辞皆顕はる。藩の文学となり禄百石を受く。弟子殆ど千人、著書百余巻、家難によりて歿し、家禄を除かる。享年六十二。飽託郡池上村谷小崎に葬りしが、後年菊池郡黒石本宗に改葬す。享年62歳。
その死の真相が「肥後風刺文学」に所収されている。二編の文章で紹介されているが、併せて読むことで詳細を知ることが出来る。
 
       

   水足屏山死去熊本落書

        〇尾崎一乱之事
      水足屏山池田手永尾崎村に在宅せしが其妻隣家ノ笠井        旧飽託郡池上村谷尾崎現・西区谷尾崎
  一享保十七年四月九日朝儒者水足半助嫡子平之進尾崎村在宅ニて笠井源右衛門と
      源左衛門と云ふ牢人者と密通さしかば享保十七年四月九
   云中山仁右衛門育牢人と打果シ申候ニ水足父子共ニ疵を負半助ハ宿ニ帰早速果
      日朝七時過屏山父子笠井宅に押懸け打果さんとせしが
   申候平之進ニ淺手三ヶ所負近所於住宅吉田喜右衛門所へ迯行喜右衛門殿此仕合手ニ
      却而笠井穽にかゝり数個所の手疵を負ひて笠井
   阿まるとおめき申候故近所長谷川忠右衛門右喜右衛門嫡子平九郎右三人馳付候へ共
      をとりにがしたり然るに近所に住みし長谷川忠左衛門                        長谷川忠右衛門家(南東6-2)(南東5-17)の5代(300石)  
   源右衛門も疵数ヶ所蒙り何国へか立のき申心得ニて四方池村出はなれニ而追付喜          四方池村(現・西区横手4丁目)四方地の池が残る。
      吉田喜右衛門父子三人馳付け来り笠井を追懸け畑                              吉田二兵家(南東20-12)の7代(400石)
   右衛門忠右衛門両人ニ而打留メ申候右平九郎ハ半介ニ付介抱仕候故打留申候場ニ参不申候
      中ニて討捨て多りニ屏山は重傷にて同日博白は御            博白→屏山の嫡子
   扨平之進ニハ醫師内外被仰付疵平癒之後御暇被下菊池郡之内深川とか
      咹となりしと云ふ當時の落書に曰く
   申所ニ参読書指南なと致居申候が翌年病死仕候 右之節熊本落書                   
       ほのぼのと                                                                       

      保の保のと尾崎の村の朝霧に儒者かくれ行學なしと        
                                                                                 思ふ

 

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■「地獄極楽御倹約仰出候事」その1

2019-09-14 21:16:05 | 史料

 以前■奇特な方は・・を書いて、私が所蔵する古文書を読んで下さる方がいらっしゃらないか、虫の良いお尋ねをした。
これは空振りに終わったのだが、親しくお付き合いさせていただいているS先生から、「何か面白い史料があれば?」とのお話があり、それではとお願いをした。
写真の如くかなりの長文であるが、短期間にお読みいただいた。ただただ感謝である。

藩政批判の文書であるが、三家老のK家の史料がオークションに流れ出たものである。陽の目を見ることはなくないまま、長く家老家に秘匿されていたものであろう。
こういった資料に陽の目を当て、藩政時代の裏面史を公にしたいものである。
長文であるため5回にわたりご紹介する。 

             

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■元和拾年 萬覚書(20)

2019-09-14 08:24:56 | 細川小倉藩

                                 (元和十年三月)十一日

         |
         |一、十一日 晴天 米田甚左衛門〇 国遠道倫〇当番、但、道倫ハ国東郡安岐八兵衛所ゟ、書物持せ越候ニ付而、
         |  返事仕候とて
         |  〇飯後登城
         |        (主膳、衛則カ)(癰・たん)                小人
谷衛則室癰    |一、卯之下刻、谷主善殿御内儀庠之由、申来り候ニ付而、御長柄之者両人罷上候事
         |                          〃〃〃〃〃
         |   (政三)                                     (幸長)
薮政三懸銀借米  |一、薮三左衛門御かゝり銀・御借米ハ、いかゝ被仕候や、被申越候、野田小左衛門申候ハ、上池ニ而、
         |  御取立可被成由、申候事                              くじ
明屋敷籤取    |一、平岡甚兵衛・小谷下屋敷、上井上六右衛門屋敷、高橋九左衛門・高橋五郎作・小川五郎八・鬮取
         |              〃
         |  ニ而取候事、但、小谷下地 五郎作、平岡甚兵衛家 九左衛門、井上六右衛門家 小川五郎八取之事、
         |
拾郡山奉行誓紙ヲ |         (誓)
上グ       |一、御山奉行三人、請人紙上ヶ申候事 
         |          〃
         |
有馬刑部規矩田川 |       (規矩郡)
両郡ノ山ヲ請取ル |一、有馬刑アハ、当郡・田川の両郡ヲ請取候事
         |
下毛上毛両郡ノ算 |一、下毛・上毛之御郡代佐藤半介・堀江半兵衛、両人登城ニ而、御郡代被易ニ付而、去御取立之御米
         |  算用之儀、仕かゝり候は、大坂へ罷上候儀延引、めいわく、亦、それ仕廻候まて、御惣庄屋ヲ是
         |  ニ留置候へバ、時分からの事二而候、御惣庄や根を存候間、両人大坂へ罷上候共、御算用とげ可
         |                              (尋)
         |  申由、被仰付候へと、申候へバ、先、野田小左衛門ニ、内證相聞候而、可仕義ニ候は、其分ニ被
         |                              〃
薮政三ノ借米ニツ |                                  民ア殿へ
キ談合      |一、八つ已後、中津ゟ申来候薮三左衛門かゝり御借米之儀談合ニ、御奉行衆〇被参候事
         |
高札ニ記ス牛市開 |一、有馬刑ア、牛市立申高札日限、御奉行衆へ申入くれ候へノ由、申候ニ付而、則、申候へバ、其分
設ノ日限     |  別可仕由、被申候事
         |                          (国遠)
         |一、民ア殿へ、御奉行衆被参、談合、甚左衛門被参ニ付而、道倫不参事
         |          

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■中秋の名月観賞

2019-09-13 21:20:21 | 徒然

 ススキも饅頭もお供えはないが、今日は中秋の名月、先ほどから何度もベランダに出て空を見上げている。
月齢でいうと今日は13日(現時点では14日かな)まん丸お月さまは明日という事になるが、今日の空は雲一つなく見事なお月だ。
そんな今日、知人の訃報を聞いた。

                         名月にさそわれたるか 訃報聞く  津々

            

 20時40分頃に撮影したお月さまだが、実は私は乱視だから直接見ると月が二重にかさなって見える。だからこうして撮影したものを眺めて合点している。
三脚が見つからず、ぶれないように脇を固めて何とか撮影し、トリミングしてこのようになつた。

10時前にもう一度ながめて寝ることにしよう。虫の声が淋しい・・・合掌

                    

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■梅洞くどき

2019-09-13 08:28:45 | 熊本

  上妻文庫の「肥後風刺文学」をながめていたら、「梅洞くどき」という一文があった。
「梅洞」は熊本市松尾町近くの「うめどう」か?、「くどき」は「口説き」であろう。
「口説き」について、デジタル大辞泉では次の様に解説している。
       
             くどくこと。また、その言葉。「口説きじょうず」「口説きに掛かる」
            2 日本音楽で、楽曲の構成単位の一。
              ㋐平曲で、素声(しらごえ)に近い単純な旋律をもつ曲節。また、それによって演奏される部分。
              ㋑謡曲で、慕情・傷心などの心情を吐露する、拍子に合わない語りの部分。
              ㋒浄瑠璃で、恋慕・悲嘆・恨みなどを切々と訴える部分。一段中の聞きどころとなる。
              ㋓長唄で、詠嘆的な心情表現をする部分。
            3 口説き歌が江戸時代に沖縄に伝わったもの。多く踊りを伴う。くどぅち。
            4 「口説き歌」「口説き節」「口説き模様」の略。

全文を読み下すにはまだ時間を要するが、これはどうやら俗謡の歌詞らしく思える。まさに「口説き」ではないか・・・

                 梅洞くどき
              梅洞くどきさあよいさてよい奈ア 今のうき世はお慈悲のうき世
              て連バ照てゝあまごひなさる 婦連ばふる■■せいうの御■■
              そ連ニ去年はどふし■として田うへ時にハ・・・・・・

これで約1/4ほどだが、御覧の如く読解が難儀である。その出典として「吹寄巻五の五十五」「寺本見聞雑記」が挙げられている。
この二つの資料と見比べれば、何とか全文の解読が出来そうである。
「寺本見聞雑記」とは、寺本直簾の「古今肥後見聞雑記」であろうと思われるが、これは天明四年頃の作とされるから、この「梅洞くどき」もそれ以前まで時代が遡る古い俗謡だということになる。
梅洞地区にこれが残されているのかどうか、現況知るすべがない。まずは資料を取り寄せ「読み下し」に頑張ろうと思っている。

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■元和拾年 萬覚書(19)

2019-09-13 07:54:52 | 細川小倉藩

                               (元和十年三月)

         |一、十日 曇 甚左衛門〇・助二郎当番
         |              矢野
到津村ノ百姓ノ出 |一、到津村御百性善兵衛と、同村の百性中出入之書物を、平井五郎兵衛持参、五郎兵衛申候ハ、御直
入   忠利直裁 |  ニ御尋被成候而、様子被 仰出候条、其まゝ被置間敷候由ニて、各同心被仕、書物御返候事
         |
無足者ノ遠方へ使 |一、御無足衆、遠使ニ被参候時之銀米入目之儀、惣銀・惣米之内ゟ申出、 御印ニ而候故、村田彦市
スル費用ノ出方  |  上田忠左衛門蔵、江戸へ参候加扶持米三石宛、惣米之内ゟ出候切手、被渡候事
加扶持米     |     〃〃〃
         |
越米       |一、椎田與右衛門・角田彦右衛門知行ゟ越米之儀、年々利足ヲ付、取立可申通、惣談ニ而、書物ニか
         |  た書被仕候事
         |   (敦行)
幡ノ小頭ノ交替  |一、続平右衛門登城、御昇之小頭年寄、目なと見え不申候間、肩之者なミニ仕、別の者を小頭ニ可申
         |  付之由、一段尤と、被申渡候事
         |           (長谷川)
         |一、長谷部才三郎登城、文左衛門内角之助下候ニ、文左衛門かたゟ、書状進之候間、返事被下候へと、
         |  御奉行衆へ申候、則、返事可仕と、被申渡候事
         |               (甫)
絵師等甫ニ屏風ヲ |一、沢村大学登城、中津ノ絵書等浦ニ、御屏風弐双被仰付候通、 御諚ノ由被申候、下地申付候間、
命ズ    下地 |  出来次第、中津へ可遣よし、被申候事
         |
小笠原長元家中ノ |一、小笠原民ア殿切米取共不知方、三月ゟ八月迄は 殿様ゟ被 仰付候目録、同加子・船頭共、殿
切米取ノ扶持方同 |  様ニ被召置候目録共、参候事
加子船頭ノ目録  |
呼野金山口屋ノ番 |一、呼野御金山口屋之御番山本市兵衛、金山ゟ罷帰、一人ニ而ハ、万事改候事不成候間、相衆被仰付
人増員ヲ願ウ   |  候か、無左ハ、井上清兵衛か、八木田平右衛門か出相候て、改ヲも仕候様ニと申候、心得候との
         |  返事
         |



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■元和拾年 萬覚書(18)

2019-09-12 13:53:21 | 細川小倉藩

                               (元和十年三月)九日

         |
         |一、九日 朝曇 細雨 助二郎・甚左衛門〇・道倫〇 三人共ニ登城、午後俄為大雨
         |   (野間)
野間次左宇佐郡代 |一、早朝沼次左衛門登城、宇佐郡御郡代ニ被仰付候儀、迷惑之由訴訟、併、被仰付候ニ付而、参候事
任命ヲ迷惑ガル  |
十郡ノ横目池ノ構 |一、福田善右衛門登城、■御郡池ヲ拵可然由、申上候事、幷人手間弐千五百程入可申由、申候言
築ヲ進言     |
経費二千五百人夫 |
国東郡牛ノ牧ノ計 | (野間)
画書       |一、沼治左衛門、宇佐郡代被仰付候へ共、手前不罷成候、然は、余米過分ニ御座候条、御借米かし被
宇佐郡奉行借米ヲ |           バ                        (正直) (慰英)
乞ウ       |  下候様ニと、申候へ■、御奉行衆かし可申由、被申候処ニ、河喜多・仁保、左候は、ご家中皆々
賄惣奉行意見   |                           
藩中ニ種子米モ無 |  可申出候、然ハ、種子米さへ御米無之候ニ、又、余〇かしと被仰候は、弥々御米有之間敷由ニ惣
シ        |               (幸長)
貸米ハ沙汰止ミ  |  談、此日、此さた止候事、野田小左衛門後ニ罷出候而、御米無御座候条、後〃御止被成候儀、可
         |  然由申候事
         |        (萱)                                   (清忠)
萱ノ払下ゲ    |一、籠跡の上なるかや山、かやうり候而可然由、有馬刑ア切〃申候ニ付而、西郡刑ア殿へ申入候へバ、
         |    (石原仁右衛門)                     (     )由の字が余分の意  
         |  薪奉行二右衛門と惣談仕、刑ア見繕、うり可申由、可申付を由被申候事
         |                             〃     
         |                                      
普請手伝ニ上リシ |一、御家中御侍衆、御普請ニ被上候人々、手前不罷成ニ付而、御借米かり申度由、訴詔候へ共、先種
家中借米ヲ乞ウニ |  子米ヲかし、此度は可被置由、畢竟、六月ニいたりて、各々借米無之は、御家中続申間敷との惣
先種子米ヲ貸サン |  談
         |
牛牧ノ構築費用  |一、右牛牧之儀、銀五百目入り、普請四、五百ほと、田地弐十七石費ニ罷成候由、申候へバ、後日之
         |                 (小林)
         |  為メニ候条、可申付由ノ惣談ニ、半左衛門ニ被申付候事
         |
十郡山奉行任命  |一、十郡御山廻りの奉行、深崎久左衛門・原田安右衛門・中西善介、三人ニ被申付、起請文前書五ヶ
起請文前書五ヶ条 |  ヶ條、被書出候事
         |
宇佐郡佐野村ノ新 |一、小野喜三郎、宇佐郡佐野村へ、福田善右衛門申上候所の池奉行ニ罷越候事
池奉行      |
         |一、平井五郎兵衛、住江武右衛門家ヲ望申上候へバ、可■被遣由、御諚之由ニ而、被下候事
         |


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■10・11・14日

2019-09-12 06:17:39 | 熊本

                        「桜町開発ビル」の画像検索結果

 花畑公園(かっての細川花畑邸跡・写真左下)の前に工事中だった、桜町再開発のビルが完成し10日に竣工式、11日には日本一(東洋一?)のバスターミナルの運用が始まった。
14日には商用施設がオープンする。わさもん(早生物)好きの熊本人の事だからさぞかし賑わうことだろう。
2,300人を収容するメインホール「熊本城ホール」のこけら落としは12月1日、山下達郎氏が登場する。
音楽好きの大西市長が直接手紙を出して、要請したと聞いた。
高層棟のホテル、マンションも追々オープンしていく。お隣(写真右手)のNTT熊本ビルも再開発の為に解体が始まるらしい。
どういう施設ができるのかそれも興味深い。熊本城も特別公開が始まるし、熊本の繁華街の人の流れが大いに変わるのではないかと興味深い。

私はといえば21日の史談会会場がお隣の熊本市民会館、バスで出かけているので新しいバスターミナルで降りなければならない。
最近膝や腰が痛いというのに、歩く距離が少し長くなったから、少々早めに出かけなければいけないな~などと心配している。

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■足元に火が付きました

2019-09-11 21:12:34 | 熊本史談会

 21日開催の史談会の例会の準備に入りました。少しのんびりしすぎて、案内状の発送は明日にでもできるのですが、資料の準備がままなりません。
いわゆる「落書(らくしょ)」というものが多く残されていて、正史では伺えない生活者の息遣いをのぞき見することが出来ます。
今回はこれを取り上げようと考えているのですが、相当の枚数があり「読み下し」をどうしたものか、あと一週間ほどでどれだけのことが出来るのかと頭を悩ませています。足元に火が付いたという感じです。
そうなると読み下しが簡単なものだけになりそうで、そういう訳にもいかず頑張るしかないな~と覚悟を決めている処です。
ブログのタイピングにも影響を及ぼしそうですが、もしそうなりましたらご勘弁ください。
熊本はまだまだ残暑が厳しく、爺様には応えます。頑張ります・・・・


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■元和拾年 萬覚書(17)

2019-09-11 12:40:22 | 細川小倉藩

                               元和十年三月卯月両月分

         |元和十年                                  
忠利鹿狩ノタメ大 |三月六日 午之刻、御出船 朝曇従昼晴 於内裏御鹿狩、於同所、服部九郎左衛門尉、山本八左衛門
里へ出船     |                                       〃
家臣口論     | ト口論ト云々、御松丸へ移ル、私等仍草臥、不登城
         |
         |              (国遠)
道倫当番順ヲ錯誤 |七日 晴 朝登城、三人共ニ、道倫順番ヲカンガへソコナヒ、不登城、然は、矢野 助二郎当番ニ而
登城セズ     | 候事、国東郡古市村之與三左衛門儀ニ付而、遠坂関内・村上久太夫ニ被申付、穿鑿ト云々、幷同
古市村ノ百姓與三 |  〃
ノ詮議      | 郡惣庄屋小原太郎右衛門所ゟ、道倫迄有内状、則、御奉行所へ上之、
惣庄屋内状アリ  |
         |
         |八日 晴 早朝
         |   (氏久)
知行方奉行椎田與 | 田中猪兵衛、椎田村惣庄屋與右衛門知行所之越米、利分有間敷儀と存候条、元ニ而被召上候様ニ
右ノ越米ノ処理方 | と、申候へ共、■■道倫、弐十ヶ年以来、不召上越米ヲ、知行所能成候間、可召上と申叓ハ如何
横目ノ意見    | 候条、能々吟味仕、重而可申由、御奉行衆二窺候已ヘバ、尤之由候而、此時判談延引、
判断ヲ保留ス   |
         |                                                  (松井興長)                                                 
村上景広松井興長 |一、昼ゟ風、村上八郎左衛門登城候而、式ア少殿被仕候役儀、他国との出入、式ア殿御帰国迄被仕候
留守中ニ代リテ他 |  様ニと被申候へバ、不仕付義迷惑ニ存候、併、御意と被申候ヘハ、畏入存候、可成程は可仕由被
国トノ出入ヲ勤ム |  申候、然ラハ、御奉行所ゟ、如此仕候へとの差紙被下候へと、被申候へバ、御奉行共横目の者共
ルヲ迷惑ガル   |  も承候、 御前ニ而ひ仰付候段、偽ム御座候条、却而左候へバ、不可然由申候事
忠利ノ面命故トス |
         |   (規矩郡)
筑前ヘノ走者誅伐 |一、徳力村之庄屋内ノ者、筑前へ走候ヲとらへ来り候ヲ、誅伐可仕由、被仰置候ニ付而、伊藤文五郎

試斬       |           ニつ   (袈裟)     (胴)
         |  あつかりノ御腰之物〇ニ而、けさ壱つ、本たう、八つ時分ニ被申付候事

         |
古市村ノ百姓白状 |一、古市村之孫右衛門穿鑿ニ付而、孫三・猪左衛門被召出、道倫相尋、白状仕、御籠へ被入候事
ス        |  
         |  甚左衛門・ 道倫・印 当番
         |       当番ノ奉行等黒印ヲ捺ス(以下略)
         | 

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■心の灯

2019-09-10 09:00:19 | 徒然

 今回の台風は首都圏に多大なる被害をもたらしたようで、心からお見舞いを申し上げる。
暑い最中、電柱の破損倒壊などで電気が不通となり、さぞかし苦痛の中不便なこととお察しする。
私も平成3年の19号台風で、一週間ほど電気が通じず誠に不便な日々を過ごした経験がある。東北地方では「りんご台風」とよばれたあの台風である。
その他太平洋戦争の襲撃も体験しているし、昭和28年の大水害、そして平成28年の熊本大地震と大きな災害に遭遇している。
命あっての物種で、もう願い下げにして欲しいものだ。

今回の台風で停電の中、明かりもなく、冷房もなしに一夜を過ごされた方々も多いと思われる。灯がないほど心細いことはない。
加藤楸邨の句に 颱風の心支ふべき灯を点ず という秀句がある。
台風に限ったことではないが、それぞれの災害の中で、ろうそくの灯や、懐中電灯の明かりを囲んで、肩を寄せ合い過ごしたひと時も家族にとっての絆を深めたと思う。皆様のご安寧をお祈り申し上げる。

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