マルティン・ハイデッガー他『30年代の危機と哲学』(平凡社、1999年)を読む。
エドムント・フッサール、マルティン・ハイデッガー、マックス・ホルクハイマーが、1930年代に記した考えである。
近代の象徴としての世界大戦は、やはり近代の科学に支えられ、また逆に科学を育てていた。1929年からの大恐慌は、いびつな経済社会がもたらした現象でもあった。そして、この歪みは、ドイツにおいて、ナチス党の躍進を生み出すことにもなる。
そのような、経済活動、科学、精神、政治活動それぞれが首輪をほどかれた時代にあって、思想家たちも何かをつかもうと足掻く。
正直言って、フッサールとホルクハイマーの論考は、さほど面白くはない。「面白い」のは、ハイデッガーの悪名高き「ドイツ的大学の自己主張」(1933年)である。
ここで、ハイデッガーは、再び大きな精神の力を取り戻すべく、学生たちを前に熱弁をふるう。曰く、理論を実践の実現とみなせ、民族の血と大地に根ざすエネルギーを動かす威力たる精神世界を創出せよ、民族を通して国家への奉仕に至るべし、と。ナチスへの加担だった。
これがなぜ、「面白い」のか、そしてなぜ、解りやすいのか。その問いは、出鱈目で人を傷つけることを糊塗するように大きな声を出し、国境問題で形ばかりのマッチョと化す為政者が支持される傾向がある、いまの日本においてなされるべきだ。