2010年12月に開催されたシンポジウム「沖縄は、どこへ向かうのか」の報告ブックレット(沖縄大学地域研究所、2012年)を、読む。
セッション1では、名古屋で2010年に開かれた生物多様性条約の締約国会議COP10を経て、沖縄において、生物多様性を如何に維持していくのかという議論がなされている。目立つテーマとして、大浦湾、泡瀬干潟、やんばるの森が挙げられる。
河村雅美氏(沖縄・生物多様性市民ネットワーク)は、生物多様性の「政治化」、「プラスチックワード化」という点を提示している。政治化は現実的に避けることができない争点だが、科学の側からは、丁寧に政治運動に使ってほしいとの批判があったという。また、プラスチックワードとは、たとえば「開発」という定義が曖昧な言葉をいろいろな場所でいろいろな意図に使っていることを指すとのことだ。いずれもコミュニケーションの問題でもある。桜井国俊氏(沖縄大学)は、そのことを、「モグラ叩き」を超えようとの主張だと解釈している。
セッション2は、「尖閣諸島問題」を、沖縄からとらえ直そうとしている。
尖閣諸島問題が先鋭化したのは、1960年代末、この地域に石油資源の埋蔵の可能性があるということが明らかになってからだった。新崎盛暉氏は、それにもっとも早く反応したのが沖縄であったと指摘する。また台湾から発生した「保釣運動」(リーダーのひとりが現在の馬総統)は、中華民国の立場から、日本の植民地主義を批判することによって、当時の戒厳令下の国民党政府への批判と民主化の糸口にしたいとのねらいがあったのだという。そして、日中国交正常化(1972年)のときには、問題は「棚上げ」にされた。
ここで新崎氏は、その後の日本、中国、米国の主張やスタンスを整理する。それぞれに真っ当な主張と、馬鹿げた主張とがある。現在事あるごとに目立つのが後者の主張ばかりであり、いずれにしても、日本側の「領土問題は存在しない」というスタンスが不自然かつ強引なものであることがよくわかる。氏の主張で重要な点は、市民は観念的・抽象的な国家論に巻き込まれてはならないということ、そして地域から平和と利益を追求していくべきだということである。
また、ガバン・マコーマック氏(ジャパン・フォーカス)も、歴史を整理したうえで、現在の「独善的排他主義と軍国主義」を排し、沖縄が地の利を生かして東アジアの架け橋という国際的ビジョンを持つほかはないとしている。沖縄からの視点は、単なるローカルな状況にはとどまらず、中央集権を突き崩しうるものだということだ。
セッション3は、仲井真知事再選後の沖縄を評価している。島袋純氏(琉球大学)と宮城康博氏(元名護市議)による指摘は、具体的で、怖ろしいほどだ。日本政府の「振興」予算という暴力が、如何に沖縄の財政自主性を破壊し、ハコモノ多発によって運用費を圧迫しているかということである。さらに、島袋氏は、憲法よりも日米安保のほうが上位に置かれているのだという。また宮城氏は、今後、日本政府は自治体の関与を排除するだろうという。いずれも「認めなければならない現実」であり、極めて重要だ。司会の佐藤学氏(沖縄国際大学)は、カネに絡めとられないあり方を主張している。
問題意識がとても多く提示された冊子であり、ぜひ一読をすすめたい。
●参照
○60年目の「沖縄デー」に植民地支配と日米安保を問う
○前泊博盛『沖縄と米軍基地』
○屋良朝博『砂上の同盟 米軍再編が明かすウソ』
○渡辺豪『「アメとムチ」の構図』
○渡辺豪『国策のまちおこし 嘉手納からの報告』
○シンポジウム 普天間―いま日本の選択を考える(1)(2)(3)(4)(5)(6)
○「名護市へのふるさと納税」という抵抗
○『世界』の「普天間移設問題の真実」特集
○大田昌秀『こんな沖縄に誰がした 普天間移設問題―最善・最短の解決策』
○国分良成編『中国は、いま』
○名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
○ジュゴンと生きるアジアの国々に学ぶ(2006年)
○ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ