2010年4月から実施されている高校無償化制度の対象には、各種学校に分類される外国人学校も含まれており、既にドイツ人学校、フランス人学校、イギリス人学校、中華学校、韓国学校、ブラジル人学校、インターナショナル・スクールが指定対象校となっている。
しかし、明らかに差別的な政治判断により、朝鮮高級学校(10校)がいまだ指定を受けていない。このことに関し、国連の人権差別撤廃委員会は日本政府に勧告を行っている。田中文科相は、「早く政治判断で決める」と表明しているが(2012/10/13)、どのような方向性なのかまだ見えていない。
朴三石『知っていますか、朝鮮学校』(岩波ブックレット、2012年)は、歴史的な経緯や問題点を短くまとめている。なお、著者は、『教育を受ける権利と朝鮮学校』(日本評論社、2011年)や『海外コリアン』(中公新書、2002年)を書いた人でもある。
日韓併合(1910年)以降、日本に移動した・させられた在日朝鮮人は劇的に増え、第二次世界大戦終結時(1945年)には約200万人が暮らしていた(当時の日本の総人口は約7000万人)。2010年現在、国籍が「朝鮮」「韓国」となっている人たちの数は約57万人。現在に至るまでには様々な経緯があるが、ルーツの言葉、文化、歴史、社会を学ぶ機会が与えられるのは当然のことではないか。
ここに重要な指摘がある。日本の学校に通っている在日コリアンの子どもは約3万人(全体の約7割)にのぼり、その約9割が本名ではなく日本風の通名を使っているという。大きな原因のひとつとして、日本社会の偏狭さと自己認識不足を挙げなければならないだろう。
勿論、日本による強制連行、北朝鮮による拉致ともに国家犯罪であり、それぞれに解決されなければならない。しかし、両者を関連付けるのも、いわんや現在の教育と関連付けるのも、大きな間違いである。
朝鮮学校では拉致問題を教えており、教科書にもその記述がある。それを認めつつも、2006年版では、日本が「「拉致問題」を極大化」したという書き方であり、それが問題とされた。本書によると、その意図は、在日コリアンに対する暴言・暴行・嫌がらせなどが多発した事態をあらわそうとしたことにあるというが、それだけでないとしても、明らかに一部の政治家が「拉致問題」のみを問題視して国内的な人気を得ようとしたことは確かに思える。なお、この記述は2011年版では削除されているという。
萩原稜・井沢元彦『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』(祥伝社新書、2011年)は、後者の文脈に乗った本である。ここでは、金日成の出自が改竄されてきたという説や、朝鮮戦争が米国・韓国の策動によるものだという教科書の記述、日韓基本条約を悪く評価する教科書の記述などをもって、朝鮮学校を認めないという論旨を展開している。しかしその理屈は強引であり、憎しみによってドライブされたものと見るほうが自然のように思える。
また、ここでは、井沢流(?)の奇妙な説や意見が開陳されている。創氏改名については、英国が植民地で行った「区別」よりも相手を人間として見ているからマシだ、そもそも新羅が唐の力を借りて朝鮮半島統一を果たした時に中国流の創氏改名を行ったはずだ、などとする。さらに、儒教文化全体を近代にそぐわないものだとして全否定する。もはやハチャメチャである。
●参照
○枝川でのシンポジウム「高校無償化からの排除、助成金停止 教育における民族差別を許さない」
○朴三石『教育を受ける権利と朝鮮学校』
○朴三石『海外コリアン』、カザフのコリアンに関するドキュメンタリー ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』
○荒井英郎+京極高英『朝鮮の子』
○太田昌国『「拉致」異論』
○金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
○波多野澄雄『国家と歴史』
○鈴木道彦『越境の時 一九六〇年代と在日』
○尹健次『思想体験の交錯』
○尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
○野村進『コリアン世界の旅』
○『世界』の「韓国併合100年」特集
○高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア
○菊池嘉晃『北朝鮮帰国事業』、50年近く前のピースの空箱と色褪せた写真