尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫、2012年)を読む。
尹東柱(ユン・ドンジュ)は、清朝時代の1917年、現在の中国吉林省・延辺朝鮮族自治州に生まれる。当時既に朝鮮族が多く住んでおり、かつ、ロシアや日本も興味を示す地であった。朝鮮は1910年より日本が併合しており、さらに、この地も、1932年に満州国となる。
マージナル性や越境性は出生だけではなかった。平壌のキリスト教系の中学校に進むも、神社参拝という支配方針により廃校とされ、地元に戻る。ソウルの大学在学中には創氏改名によって名字を「平沼」と変え、卒業後は、立教大学・同志社大学に留学する。ここで、朝鮮民族運動を行った咎で従弟とともに逮捕され、福岡で獄死する。日本敗戦の半年前であった。戦後、『空と風と星と詩』が発刊され、韓国でよく知られた詩人となった。
本書は、在日コリアンの詩人・金時鐘が、 『空と風と星と詩』を含めた作品を抜粋・翻訳したものである。
一読し、まずは裡に籠った内省的な感覚と、自らの姿を突き放して視る感覚、それに、絶望とロマンチシズムとがあい混ぜになった抒情性に、強い印象を受けた。
例えば、「星をかぞえる夜」(1941年)の感覚には、驚かされてしまう。
「星ひとつに追憶と
星ひとつに愛と
星ひとつにわびしさと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつにオモニ、オモニ
お母さん、私は星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。」
このように、自らが大切にする気持や存在を丁寧に並べてみたあと、やはり、大切にする人びとの名前を並べてみる。しかし、裡にある大切な存在は、もはや身近なものではありえない。そして、決定的なことに、創氏改名により、自分の名前さえ身近なものではなくなっている。
「これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるかに遠いように、
お母さん、
そしてあなたは遠く北間東におられます。
私はなにやら慕わしくて
この数かぎりない星の光が降り注ぐ丘の上に
自分の名前を一字一字書いてみては、
土でおおってしまいました。」
解説の金時鐘によると、その苛烈な短い生涯をもって、抵抗の民族詩人というような位置に押し込めることは、彼の詩の特質を見逃してしまうことになるため、間違いなのだという。さらに、詩が生み出された背景をあえて捨象して、「なよなよしい情感」という抒情性におさまったも作品としてしまうのも、また間違いなのだとする。
従って、すぐれた詩がつねにそうであるように、その世界は多層的であり、わかりやすい解釈を許さない。金時鐘は、植民地朝鮮における安寧な自分、何ひとつなしえない無力な自分、信仰には救済を求めずに自問自答する暗がりの中の自分、そうした「誠実な問い返しに貫かれている」のが、この詩集だと言う。
また色眼鏡が消えるまで寝かせて待ち、あらためて、この詩集がどのようなイメージを形成しているのか、味わってみなければならない。