Sightsong

自縄自縛日記

尹東柱『空と風と星と詩』

2012-10-21 08:44:59 | 韓国・朝鮮

尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫、2012年)を読む。

尹東柱(ユン・ドンジュ)は、清朝時代の1917年、現在の中国吉林省・延辺朝鮮族自治州に生まれる。当時既に朝鮮族が多く住んでおり、かつ、ロシアや日本も興味を示す地であった。朝鮮は1910年より日本が併合しており、さらに、この地も、1932年に満州国となる。

マージナル性や越境性は出生だけではなかった。平壌のキリスト教系の中学校に進むも、神社参拝という支配方針により廃校とされ、地元に戻る。ソウルの大学在学中には創氏改名によって名字を「平沼」と変え、卒業後は、立教大学・同志社大学に留学する。ここで、朝鮮民族運動を行った咎で従弟とともに逮捕され、福岡で獄死する。日本敗戦の半年前であった。戦後、『空と風と星と詩』が発刊され、韓国でよく知られた詩人となった。

本書は、在日コリアンの詩人・金時鐘が、 『空と風と星と詩』を含めた作品を抜粋・翻訳したものである。

一読し、まずは裡に籠った内省的な感覚と、自らの姿を突き放して視る感覚、それに、絶望とロマンチシズムとがあい混ぜになった抒情性に、強い印象を受けた。

例えば、「星をかぞえる夜」(1941年)の感覚には、驚かされてしまう。

「星ひとつに追憶と
星ひとつに愛と
星ひとつにわびしさと
星ひとつに憧れと
星ひとつに詩と
星ひとつにオモニ、オモニ

お母さん、私は星ひとつに美しい言葉をひとつずつ唱えてみます。」

このように、自らが大切にする気持や存在を丁寧に並べてみたあと、やはり、大切にする人びとの名前を並べてみる。しかし、裡にある大切な存在は、もはや身近なものではありえない。そして、決定的なことに、創氏改名により、自分の名前さえ身近なものではなくなっている。

「これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるかに遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間東におられます。

私はなにやら慕わしくて
この数かぎりない星の光が降り注ぐ丘の上に

自分の名前を一字一字書いてみては、
土でおおってしまいました。」

解説の金時鐘によると、その苛烈な短い生涯をもって、抵抗の民族詩人というような位置に押し込めることは、彼の詩の特質を見逃してしまうことになるため、間違いなのだという。さらに、詩が生み出された背景をあえて捨象して、「なよなよしい情感」という抒情性におさまったも作品としてしまうのも、また間違いなのだとする。

従って、すぐれた詩がつねにそうであるように、その世界は多層的であり、わかりやすい解釈を許さない。金時鐘は、植民地朝鮮における安寧な自分、何ひとつなしえない無力な自分、信仰には救済を求めずに自問自答する暗がりの中の自分、そうした「誠実な問い返しに貫かれている」のが、この詩集だと言う。

また色眼鏡が消えるまで寝かせて待ち、あらためて、この詩集がどのようなイメージを形成しているのか、味わってみなければならない。

●参照
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』


マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』 ミシェル・ペトルチアーニのドキュメンタリー

2012-10-21 00:12:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

青山のイメージフォーラムで、マイケル・ラドフォード『情熱のピアニズム』(2011年)を観る。

ミシェル・ペトルチアーニの生涯を追ったドキュメンタリーであり、『Michel Petrucciani / Body & Soul』と直接的な原題が付けられている。

これまで、わたしにとってのペトルチアーニは、第一に彼の個性的な音楽そのものであり、彼の不自由な身体のことは何かの判断材料にはならなかった。当然である。

しかし、さらに、このドキュメンタリーからは、後者の側面あっての音楽性だったのだということを強く印象付けられる。鍵盤を叩く強いタッチ、それと両立するスピードは、結果論かも知れないが、難病と、大江健三郎ふうに言えば「人生の親戚」として付き合いながら、それを乗り越えて得られたものかも知れない。

ペトルチアーニは、生まれた時から骨が異常に弱く、身体を支えることができなかった。そのため、自分だけではハードな移動が難しく、身長は1メートルしかなかった。しかし、彼は人生のいくつもの目的を諦めず、渾身の力をもって突き進んだ。話が上手く周囲を常に笑わせ、女好きで恋人を何人も変え(性的にも強かったという、女性からの証言がある!)、ドラッグをやり、そして、骨が折れてもピアノを弾いた。驚異である。

アルド・ロマーノが登場し、はじめて聴いて仰天、レコード会社に電話してレコーディングの話を取りつけたということを話す。リー・コニッツは、自分は天才の「ツマ」で、皆がペトルチアーニを観ていたと笑う。チャールズ・ロイドは、ペトルチアーニとの出会いにより、再びジャズ魂を取り戻す。

ウェイン・ショータージム・ホールとの演奏(『Power of Three』)や、セシル・マクビージャック・デジョネットとの演奏もある。ジョー・ロヴァーノジョン・アバークロンビーの証言もある。ジャズ好きには堪らない映画だ。

わたしは、1997年11月に、ブルーノート東京において一度だけペトルチアーニの演奏を聴いた。アンソニー・ジャクソンスティーヴ・ガッドとのスーパートリオだった。CDで聴くよりも何倍も強い音圧があり、特に「Take the "A" Train」など大感激した記憶がある(ヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤における演奏が好きだったのだ)。

あのとき彼は34歳、そして36歳で急逝した。文字通り、不世出の天才ピアニストだった。