Sightsong

自縄自縛日記

『山口百恵 激写/篠山紀信』

2014-03-02 23:44:23 | ポップス

『山口百恵 激写/篠山紀信』(1979年)

篠山紀信が不世出の歌手・山口百恵を撮った写真によって構成された映像作品。これが「NHK特集」であったというのだから、驚かされてしまう。随分思い切った企画をしたものだ。

曲は、『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』(1979年)をもとにしているが、これに収録されていない「プレイバックPart2」も挿入されている。

あどけない14歳から、妖しい色気を前面に出した20歳まで。勿論、「山口百恵」という物語なのだが、それが如何に時代に重なっていたか。また、篠山紀信が如何にメディアの渦の中でハマっていたか。これは、山口百恵、篠山紀信、それに阿木燿子・宇崎竜童コンビも含め、何人ものモンスターが噛み合った、時代の記録である。

●参照
中川右介『山口百恵』
山口百恵『曼珠沙華』、『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』 


中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁

2014-03-02 20:15:48 | 写真

ついでに、Tさんと写真展をハシゴ。

■ 中里和人『光ノ気圏』 (銀座・巷房)

房総や新潟に残されている手堀りのトンネルを撮った写真群。よくぞここまで次々に探したものだ。ある種の感慨を覚える。

房総のそれはやわらかい関東ローム層や粘土層を、新潟のそれは岩盤を掘ったもののように見える。柏崎のトンネルもあるし、そうでなければ困るのだが。

ところで、このギャラリーが入っている銀座一丁目の奥野ビルはとても古い建築のようで、何しろつくりが味わい深い。手動で二重に閉じなければ動かないエレベーターもあった。

■ 中藤毅彦『ストリート・ランブラー―パリ』 (コニカミノルタギャラリー)

2011年ころからコンタックスG2といくつかのレンズを使って撮られた、パリのスナップショット。中藤さんがおられたので訊ねてみると、フィルムはネオパン1600スーパープレストらしい。

黒のしまりが素晴らしく、いちいち目を奪われる。

■ 八尋伸『信仰』 (コニカミノルタギャラリー)

ミャンマー北部・カチン族の記録。

■ 星玄人『STREET PHOTO EXIBITION 17 横浜』 (サードディストリクトギャラリー)

■ 瀬戸正人『瀬戸家のアルバム3』、小松透『STILL ALIVE』 (PLACE M)

■ 安掛正仁『蛞蝓草紙外伝』 (ギャラリー蒼穹舎)

歩き疲れて、新宿御苑近くの「北海亭」でアジフライを食べた。前から気になっていた店だった。三浦の「釣りアジフライ」は、かなり大きく、ふわふわで旨かった。

 


土田ヒロミ『フクシマ』、『フクシマ2』

2014-03-02 10:28:12 | 東北・中部

土田ヒロミさんによる、福島をテーマにした作品展が2箇所で開かれている。

■ 『フクシマ』 (銀座ニコンサロン)

人がほとんどいない家、山、道、野。

作品には、日時、緯度、経度、標高、放射線量が付され、ものによっては、写真の中に薄い字で線量や「FUKUSHIMA」の字が重ねあわされている。そして、まったく同じ場所での定点観測としての複数の組み合わせもある。

■ 『フクシマ2』 (photographers' gallery)

ふたつの部屋。

片方では、3方向に向けられたモニターで、「森」、「野」、「街」と題された映像がずっと流されている。やはり人がほとんどおらず、たまに、崩れた家や、除染作業の重機や、警察のパトカーが見える。森には牛がいる。

もう片方では、写真のスライドショー。BGMとして東北民謡が流されている。やはり、美しい自然風景の中に、時折サブリミナルのように浮かび上がる「FUKUSHIMA」の文字。スクリーンの手前には、除染後の廃棄物を意識したのであろう、黒い風船が多数置かれている。

これらの作品群をどう捉えるべきか。

もちろん、鑑賞者に、被災地に関する事前情報があることを大前提としている。そして、線量や日時の情報も、黒い風船も、「FUKUSHIMA」という写真内の文字も、とても俗であり、スペクタクルである。

しかし、写真家は、そのことを明らかに意識した上で、方法論として出してきたのだろうと思える。そのことを意識に置いて観ても、やはり、息を呑んで、写真や映像を凝視してしまう。ひょっとしたら、「FUKUSHIMA」が、山中の「HOLLYWOOD」という文字を思わせることは、半分は、方法論を自覚していることを示さんとしてのものかもしれない。

●参照
『土田ヒロミのニッポン』
鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
鄭周河写真展『奪われた野にも春は来るか』


北井一夫『COLOR いつか見た風景』

2014-03-02 09:30:15 | 写真

研究者のTさんと、品川のキヤノンギャラリーに足を運び、北井一夫さんの写真展『COLOR いつか見た風景』を観る。

北井さんのカラー作品はこれまでにもいくつも観てはいるものの、「カラー」ということを前面に押し出し、しかもデジタル出力という方法論には、かなり意表をつかれた。

まずは一回りしてから、北井さんによるトークを聴きながら、また味わう。岡山県久米町、津軽、神田、四国遍路、沖縄、信濃、フランス、ドイツ、スペイン、山口。これらが紛うかたなき北井一夫写真であり、心底より素晴らしいと感じられる。

いくつか面白い発見。

○モノクロの発表済みの作品と同じ場所でのカラー作品が、何枚もある。これらは、北井一夫初期のトレードマークであるキヤノンIIDキヤノンIVSbそれぞれにキヤノン25mmF3.5を装着して撮られたものだが、何でも「レンズ付きで1台9,000円と安かったから、2台買った」のだという。そして、場合によっては、その2台それぞれにモノクロとカラーを詰めて撮影された。
○そのカメラとレンズは、もう北井さんの手元にはない。三里塚の撮影後、小川プロの人の手に渡ったりしたのだという。ところで、また別のキヤノン35mmF1.8は、つげ義春さん(!)が欲しがったので安く譲ってしまったのだとか。
○北井写真には左に傾いでいるものが多い。北井さんによると、25mmのファインダーは角が丸くて相当いい加減であり、結果として傾いてしまったが、それを自らいいじゃないかと思ったのだという。編集者が勝手にトリミングして角度を変えようとしたときに拒否したことも。
○また、北井写真には、風景内にぽつんと子どもが写っている作品が多い。北井さんの幼少期の投影でもあろうという。そして、マンネリだとの批判があったこともあり、『沖縄放浪』(1972年、アサヒグラフ)では、敢えてそのパターンばかりを展開したという(笑)。
『神田明神下置屋』(1972年、朝日ジャーナル)では、特に多木浩二らから、三里塚のあとに芸者を撮ることについて「無思想の極み」だという批判があった。しかし、その対談のなかで、木村伊兵衛が「粋なもんですね」と発言した途端、批判がぴたりと止まった(笑)。
『フランス放浪』(1972年)では、英語もフランス語も話せず途方にくれていたところ、地図を見たら、マルセル・カルネ『北ホテル』など、映画にゆかりのあるところばかり。そのようなわけで、映画を思い出しながら、順番に回った。

現在、船橋市役所で、『フナバシストーリー』(1989年)のヴィンテージプリントが展示されている。また、7月にはZen Foto Galleryにて、被災地の道を撮った写真展『道』が予定されている。『道』と、『ライカで散歩』において物議を醸したモノ写真(ゆず3個、とか)については、写真集としてまとめたいそうだ。

●参照 北井一夫
『神戸港湾労働者』(1965年)
『過激派』(1965-68年)
『1973 中国』(1973年)
『遍路宿』(1976年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『湯治場』(1970年代)
『新世界物語』(1981年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『Walking with Leica』(2009年)
『Walking with Leica 2』(2009年)
『Walking with Leica 3』(2011年)
『いつか見た風景』(2012年)
中里和人展「風景ノ境界 1983-2010」+北井一夫
豊里友行『沖縄1999-2010』