Sightsong

自縄自縛日記

大野俊三『Something's Coming』

2014-03-16 22:22:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

このところ、大野俊三『Something's Coming』(East Winds、1975年)をやたらと聴いている。

大野俊三(tp)
Cedric Lawson (key)
Reggie Lucas (g)
Don Pate (el-b)
Roy Haynes (ds)
菊池雅章(org:③)

いま聴くと、キーボード、エフェクター付きのギター、エレキベースによるファンクサウンドは、どうしようもなく70年代の音である。ただ、別に古臭くてもカッコ良いし、渡米間もない26歳の大野俊三のトランペットはストレートで気持ちがいい。

3曲目の「I Remember That It Happened」だけは、菊池雅章のオルガンとのデュオであり、異色な辛気くささを湛えている。「日本らしさ」の追求がこのような形になったのかな。菊池雅章が山本邦山とともに吹き込んだ名盤『銀界』(1970年)の延長線上にあるような印象である。

それにしても、菊池さんの手術はどうなったのだろう。
http://gogetfunding.com/project/help-masabumi


鈴木則文『トラック野郎・一番星北へ帰る』

2014-03-16 13:30:41 | 東北・中部

鈴木則文『トラック野郎・一番星北へ帰る』(1978年)を観る。

舞台は岩手県花巻市のりんご農園、岩手県の宮古市、福島県の小名浜港、福島県の常磐ハワイアンセンター。

菅原文太、愛川欽也、大谷直子、新沼謙治、田中邦衛、せんだみつお、黒沢年雄、アラカン、成田三樹夫など、癖があるというより癖しかないような役者を使って、鈴木則文は、迷うことなく娯楽の王道をひた走る。『男はつらいよ』の向こうを張って、70年代に大変な人気を誇った理由が、よくわかる。

●鈴木則文
『少林寺拳法』(1975年)
『ドカベン』(1977年)
『忍者武芸貼 百地三太夫』(1980年)
『文学賞殺人事件 大いなる助走』(1989年)


「郭徳俊 ニコッとシェー 1960年代絵画を中心に」展@国立国際美術館

2014-03-16 10:08:45 | 韓国・朝鮮

大阪の国立国際美術館に足を運んだ目当ては、実は、「郭徳俊 ニコッとシェー 1960年代絵画を中心に」展だった。

郭徳俊は京都生まれ。両親が韓国人であったために、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)とともに日本政府に国籍を剥奪され、在日コリアンとなる。その後、結核を患い、余命10年を宣告され、生への執着を絵という形にしていった。1960年代の作品群は、そのようにして生まれた。

もっとも、そのような背景の物語を意識してもしなくても、この作品群はひたすら愉快で、またひたすらに本能的な域にアクセスしてくる。

デュビュッフェのように天真爛漫かつ邪気溢れるものもあれば、菅井汲のようにかたちへの傾倒が見られるものもある。鳥の目で、存在しない都市のヴィジョンを幻視したようなものもある。すべてが生と性のエネルギーで満ちているようだ。自分もスケッチブックを開いて、思いつくままに線や色を展開していきたいという気持ちになってしまう。


アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館

2014-03-16 09:30:24 | ヨーロッパ

大阪の国立国際美術館で、アンドレアス・グルスキー展を観た。東京への巡回のときに逃していたのだ。

噂にたがわず大変な迫力がある。

<バンコク>という連作では、チャオプラヤ川の水面を撮っている。光の反射は、アメーバ状のさまざまの形をもつ。わたしが小学生のときに、プールの絵を精密に描こうとしたことを思い出す。光の反射を再現しようとして、次々に楕円形やブーメランの形を描いてはいくものの、それらは一瞬現れるだけの存在であり、描く方はまず追い付かない。描きおおせたところで、それは脳内に残るプールの水面の姿ではない。同様に、この写真群は、ある時間断面を精密にカットしており、現実からかけ離れた奇妙さを持つ。

また、<パリ、モンパルナス>では外から視たアパルトマンと個々の窓の中を、<香港、上海銀行>では外から視たオフィスビルと個々の窓の中を、<F1 ピットストップ IV>ではF1車のピット作業時に調整作業やその上から見物する人たちを、同時に、しかも精密に、再現している。

もちろん、これらも現実ではない。現実を写真機で切り取ったものであったとしても、デジタル加工によるコラージュであったとしても大した違いはない。そのようにすべてを同時に視て、瞬時に脳内で処理できる人間はいない。すなわち、これは、監視であり、モニタリングである。

グルスキーの写真から、中世フランドルの画家・ブリューゲル親子を想起する者もあるかもしれないが、ブリューゲルのそれはあくまで全体として成立している世界であり、根本的に異なるように思える。

グルスキーはベッヒャーの教えを受けたのだという。無名の建造物を精密に撮り、形としての力を直接的に示すという点で、確かにグルスキーはベッヒャー派なのだろう。しかし、デジタルを手段として、欲望をここまで作品化できるということは、今後、グルスキーとその影響を受けた者たちが、さらにこれを上回る世界に突入することを意味する。