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自縄自縛日記

ノーム・チョムスキー講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」

2014-03-07 12:00:06 | 政治

ノーム・チョムスキーによる講演「資本主義的民主制の下で人類は生き残れるか」が、上智大学で行われた(2014/3/6)。

 

※以下、発言要旨は当方の解釈に基づくもの

○19世紀、ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』において、自由の原則を説いた(ヴィルヘルム・フォン・フンボルトに影響されてのもの)。
○また、18世紀、アダム・スミスは、職業の分業化によって、人びとの知性が後退するとの警告を発した。このことはあまり言及されていないが、スミスの中心的思考である。スミスの『道徳感情論』は、人間は他人の幸福を望み、人間の良い面が支配秩序を形成することを望んでいた。スミスは新自由主義のドクトリンのように扱われているが、実は、その本質は異なるものである。有名な「見えざる手」という表現もまれにしか出てこないのであり、しかもそれは、平等な配分を説くために使っているのである。スミスの言説は、新自由主義の都合のよいように変えられてしまっている。
○すなわち、近現代の経済社会については、2つの相異なるヴィジョンが存在すると言ってよい。(1) 古典的な自由主義、(2) 邪で利己的な競争が社会秩序を形成するという新自由主義、である。
○進化論にもそのことはあてはまる。ダーウィン後、ピョートル・クロポトキンは互助的な世界を説き、一方、ハーバード・スペンサーは適者生存の世界を説いた。
○産業資本主義は(2)の体現として富を追求するが、もとより、ミルは、人びとの奴隷化に結び付く賃金制度に反対していた。
○(1)の古典的な自由主義の形式は資本主義において崩れてしまい、(2)が教義として褒めそやされている。しかし、(1)の精神はなお続いている。
○米国はどうか。失業率は統計以上に進み(働くことを諦めた人も多く数字に反映されない)、インフラや教育の充実など行うべきことは山のようにあるにも関わらず、富は、一握りの大企業に集まっている。富の過度な偏在は政治力の偏在をも生み、貧困層はさらに無惨なところに追い込まれている。すなわち、新自由主義が機能不全に陥っているのである。
○これは意図的な政策の結果である。今や定期的に金融危機が訪れる状況だが、その危機の作り手が報酬を得て、リスク回避策により救済もされている。
○米国では、歴史的に、国家的な保護策により、国家が、軍事産業や、ITや医薬品などの先端産業を発展させてきた。その後に、技術を民間に移転する方法であった。これは、本来の市場経済とは程遠い姿だ。
○そしてこれは米国だけの姿ではない。先進国すべてにおいて、支配者が護られ、無防備な人びとが攻撃されている
○また、選挙にオカネがかかり過ぎることも問題であり(献金により政策がわかる)、このことが、市民と政策との驚愕すべきギャップを生み出している。
○福祉国家を目指した欧州においても、新自由主義からの攻撃がなされている。EC(欧州委員会)、ECB(欧州中央銀行)、IMF(国際通貨基金)のトロイカ体制が、緊縮財政を進め、市民に大影響を与えている。このとき、やはりコストを負担するのは所得の下の人・選挙での影響力を与えにくい人であり、喜ぶのは上の人である。
○かつて「グローバル・サウス」は、IMFのプログラム下に置かれ、構造調整の名のもとに米国等の支配を受けた。その意図せざる結果として、ユーゴやルワンダでの民族紛争さえも起きてしまった。
○この15年間ほどの中南米の動きは、はじめて西側のコントロールから脱したという点で、歴史上貴重な展開だと言うことができる(まだ、グアテマラやホンジュラスは支配下にあるわけだが)。
NAFTA(北米自由協定、1994年発効)はどうか。メキシコの多くの国民は、FTAに反対していた。合意とは言えなかった。結果、イデオロギー的には褒めそやされ、米国の医薬品産業が栄え、富豪が増えた。
TPPも同じだろう。法人の利益だけが追求され、秘密裏にことが進められている。
○現在の市場システムは、直接当事者になった者の利益のみを考え、他者を顧みないという点で、外部性を無視したものだ。その外部性としては、(1) 市場システムのリスク、(2) コモンズへの影響、が挙げられる。
○(2)に関連して、シェールガスなどエネルギー増産に沸いている米国は、公衆の理性を超えようとしている。そして、化石燃料の使用を抑制されないため、大企業や支配層によって、気候変動が人為的なものでないとの主張さえなされている。この主張は、福島の放射性物質についての過小評価と同じものだろう。
○それでは、私たちには生き残る見通しはあるのか? 明るさは決してないが、これまで検討を繰り返してきたのである。すべてが死んだわけではない。この過程によって、私たちがどのような生き物であったかわかるだろう。

<質疑応答>

(Q) 日本では原子力の分野でも言論の自由がなくなっている。
(A) 人類史から得られる答えは、大衆の組織行動が効果的であるということだ。それによって、昔より、政府が弱くなり、直接的な暴力を行使しにくくなっている。市民は甘んじる必要はない。

(Q) 学生へのアドバイスが欲しい。
(A) これまで言った通りだ。学生は常に最先端にあり、もっとも自由である。

(Q) プロパガンダにミスリードされないためにはどうすればよいか。
(A) 情報はたくさんある。

(Q) 自らの命をリスクに賭することのない行動として何を考えるか。
(A) 日本や米国は、天安門事件が起きるような社会ではない。何もやらないともっと危ない。

(Q) 沖縄の米軍基地についてどう考えるか。
(A) 解決は東京の人次第だろう。沖縄では、安倍政権のごり押しにも抗して、辺野古反対の名護市長が勝利した。責任転嫁はしてはならないことだ。

(Q) 精神的なものをより重視する社会の構想についてどう考えるか。
(A) 既に啓蒙の時代にその姿は見出されていた。どの社会に進むかは皆さん次第だ。

(Q) 福島原発の事故についてどう考えるか。
(A) 私の考えは皆と同じだろう。酷いことが起きたし、また起こりうるものだろう。どこかでトレードオフが必要だが、その代替策は化石燃料ではもうダメであり、持続可能なエネルギーにシフトすべきだ。ドイツを見よ。リソースを投入すべきだ。

(Q) 米国との軍事行動展開や排外主義の推進による東アジアの危機についてどう考えるか。
(A) 私のアドバイスによってではなく、「声なきアドバイス」に従い、意志をもって導かれるところに進めばよい。

(Q) 政府による「監視」は、市民活動の「抑制」となっているのか。
(A) 興味深い質問だ。政府は監視したところで大したことはできない。多くの情報を収集しても無意味である。米国政府が「テロとの戦い」を標榜し、監視と情報収集を進めたが、テロなど明るみに出たことはない。1件のみ、ソマリアへの送金事例があっただけだ。

(Q) 米国の組織的な労働運動について。
(A) 1920年代には直接的な暴力により抑圧されたが、30年代には復活を遂げた。NAFTA構築のときにも抑圧があった。しかし、やればできる。

(Q) 自由の本質とは何か。自由になるためにはどうすればよいのか。
(A) ルソーも旧い社会を糾弾しているし、読めばわかることだ。自由は人に何かを教えられて獲得するものではない。誰の命令にも屈服しないということだ。

<聴講を終えて>

新自由主義の機能不全や、意図された不完全さについての主張は、既に著作において展開されており新鮮なものではなかったが、やはり明快であり、納得するところが多かった。

また、民主社会の実現に向けての処方箋などないが、誰かの教義によってではなく、自ら検討・判断し、着実に進んでいけば結果が得られるという考えも、決して楽天的に過ぎることはないだろう。(もっとも、会場からの質問は、その「教義」を求めてのものだったようだが。)

気候変動に対しては、チョムスキーは、『Nuclear War and Environmental Catastrophe』(2013年)においても語っているように、かなりの危機感を抱いている。米国では、「気候変動のウソ」は、既得権を護りたい大企業や保守層によってなされているわけである。一方、日本では、気候変動対策のひとつとして原子力が推進されてきたこともあり、またIPCCの「クライメート・ゲート事件」の影響もあり、いまだ、おかしな陰謀論に惑わされる層が、保守層ではなく、リベラル層のほうに見られている。これも知的後退のひとつの現象ではないか。

●参照
ノーム・チョムスキー『アメリカを占拠せよ!』
ノーム・チョムスキー+ラレイ・ポーク『Nuclear War and Environmental Catastrophe』


ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン

2014-03-07 09:36:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマン、佐藤允彦、森山威男という驚異のメンバーによるグループ「HEAVYWEIGHTS」の演奏を観るため、新宿ピットインに足を運んだ(2014/3/6)。

Peter Brotzmann (ts, cl, tarogado)
佐藤允彦(p)
森山威男(ds)

3人それぞれが、名前そのものの存在であり、他のプレイヤーとの代替は不可能。

ブロッツマンは、相変わらず、宇宙の向こう側のような音をひたすらに発する。佐藤允彦は、余裕綽々でブロッツマンの出方を見ては、間合いをはかりながら、実に効果的なピアノを繰り出す。そして森山威男は、巨木の威容を見せつけながら、独特の渾身のドラムソロを叩きつける―――しかも、時に恍惚の笑みを浮かべながら。

驚いたことに、1曲だけ、ブロッツマンがブルースを吹きはじめた。ふたりはにやりとしてブルースで応じる。もっとも、ブロッツマンの音は、すぐにいつもの「ブギャー、ブヒョー、キュゥオー」と化すのではあるが。ブロッツマンも後で笑った。3人とも笑いながら、凄まじいパフォーマンスを繰り広げる。何という人たちか。

ところで、第2部をはじめる前の、森山威男のMC。

「え~、ジャズは勝ち負けです。負けてはなりません。・・・本日の”負け”、佐藤允彦!ペーター・ブロッツマン!!」

>> 新宿ピットインによるステージ写真
>> 『ペーター・ブロッツマン~ジャパン・ツアー 2014』の全日程

●参照
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』
見上げてごらん夜の星を(森山威男参加)
若松孝二『天使の恍惚』(森山威男参加)
翠川敬基『完全版・緑色革命』(佐藤允彦参加)
姜泰煥『ASIAN SPIRITS』(佐藤允彦参加)
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』(佐藤允彦参加)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマン
『BR�・TZM/FMPのレコードジャケット 1969??1989』
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ブロッツマン参加)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(ブロッツマン参加)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ブロッツマン参加)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ブロッツマン参加)