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自縄自縛日記

武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』

2015-02-07 08:30:05 | 中国・台湾

ソウルで、武田泰淳『秋風秋雨人を愁殺す』(ちくま学芸文庫、原著1968年)を読了。革命家・秋瑾の伝記である。このような作品を淡々と出す筑摩書房は偉い。

秋瑾は、漢民族を抑圧する清国政府の打倒を目指し、浙江省・紹興で活動した。1907年逮捕、同年処刑。

辛亥革命よりも前にこの世から姿を消し、また、辛亥革命に直接は関与しなかったために、さほど知られているわけではない。しかし、その活動は今では評価されているようで、紹興では大きな白い像を見た記憶がある。

武田泰淳は、酔っ払いのようによたよたとした文章で、極めてアンバランスな心を持って動いた秋瑾のことを描く。書く方も書かれる方もあやうい。

それによれば、秋瑾にとって、革命とは自らの死そのものであった。情勢が有利でないときに戦略的に雌伏して時が来るのを待つようなことは、彼女の美学には反していた。従って、孫文の革命とは相いれなかったし、革命を成功させることもなかった。仮に成功させていたとしても、安定的な政権運営などは無理だっただろう。しかし、武田泰淳は、社会の変革には、そのようなやみくもな力が必要だったのだとしている。冷静に考えるだけでは足りないのだというわけである。もっとも、それは論理もあやしい武田泰淳の言うことである。

秋瑾や、その他大勢の残したものが積み重なり、新たな民国政府が樹立された。その前後、秋瑾の活動に関係のあった者がやはり処刑されたりもしている。いちどは「NO」を突き付けられた者たちが、いつの間にかふたたび権力の座に収まったためだ。魯迅はこのことを指して、「水に落ちた犬(落走狗)は打たねばならぬ」との主張をした。

どうしても日本の現状と重ね合わせてしまうのだがどうか。

●参照
ジャッキー・チェン+チャン・リー『1911』、丁蔭楠『孫文』
菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』
藤井省三『魯迅』
大島渚『アジアの曙』
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』


デミアン・チャゼル『Whiplash(セッション)』

2015-02-07 07:40:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

ソウル・金浦から羽田への帰国便で、デミアン・チャゼル『Whiplash』(2014年)を観る。この4月には、『セッション』という邦題で日本公開されるようである。

アメリカの名門音楽学校。ジャズドラマーを志す少年に、ビッグバンドを率いる教師が目をかける。教師の信念は、「セッションでうまくなかったチャーリー・パーカーにジョー・ジョーンズがシンバルを投げつけ、笑いものにしたからこそ、巨人バードが生まれたのだ」ということ。少年は、それ以上に異常なほど苛烈なスパルタ教育を受ける。やがて破滅が訪れ、少年も教師も学校を去る。

その後、ライヴハウスで教師に再会した少年は、ジャズフェスでかつて演奏した曲で叩かないかとの誘いを受ける。しかし、それは罠だった。

ジョン・パティトゥッチだったかミロスラフ・ヴィトウスだったかが、「来る日も来る日も楽器の練習ばかりして、友達もいないし他のことも何一つできない。だけど、それだからこそ世界的な音楽家と共演できているんだよね」などといった発言をしたという話を聞いたことがあるが、まさにそれを絵に描いたようなプロットである。言ってみれば、ジャズ版『巨人の星』。教師と少年との愛憎入り混じる感情もヘンタイ的に描かれている。

ああ怖い、こうでもしなければ一線級のジャズ演奏家にはなれないのかしら。


ソウルのオモニチプ

2015-02-07 01:00:54 | 韓国・朝鮮

韓国料理を食べるたびに元気が出る。どんよりした気分のときに新大久保のコリアンタウンでサムギョプサルを食べて激しく回復したこともあるし、今回モンゴルでひどい二日酔いのときにテールスープを飲んで、やはり栄養が身体に行き渡るようだった。不思議なことである。

そんなわけで、所用で帰路に一泊したソウルでは、明洞の「オモニチプ」という店で海鮮料理をいろいろと食べて、また元気が出た。ぴくぴくと動く活きダコはよく噛まないと口の中にへばりつく。カンジャンケジャンはしみじみ旨く、残り汁をご飯にかけてさらに味わった。めでたしめでたし。


カンジャンケジャン


活きダコ


海鮮鍋、カニとかタラ(明太)とか白子とかムール貝とか


ナチポックム


出るときにヤクルトをもらった

●参照
赤坂の兄夫食堂再訪、新大久保のモイセ
赤坂コリアンタウンの兄夫食堂
荻窪のコチュナム
韓国冷麺
枝川コリアンタウンの大喜
鶴橋でホルモン(与太話)
旨いウランバートル(Biwon)
旨いウランバートル その2(Sorabol)