Sightsong

自縄自縛日記

辺見庸『反逆する風景』

2015-02-11 10:52:40 | 思想・文学

辺見庸『反逆する風景』(鉄筆文庫、原著1995年)を読む。

言ってみれば、小難しい人による思い付きの放言集、斜め読みで付き合う他はない。もう「どうでもいい」。「どうでもいい」のではあるが、芥のなかからしぶとい生命力を感受せざるを得ない。それはしばしば、斜に構えており、露悪や狂気にもみえるものでもあるのだが。

「世界とは、いずれ私というなまくらな目で眺められたなにものかなのであり、なにか書き記すかぎり、私がいまある場所こそが世界の臍であり、中心なのである。」

少なくとも、世界の違和感や破綻や生々しい切り口を凝視し、それにより残る痕跡がいかにつまらぬものであっても身体と脳のどこかに抱え持っている限り、その精神は、おかしなつるりとしたもののなかに取り込まれることはない。・・・と、あらためて信じるために、放言に付き合うようなものかな。

●参照
辺見庸の3・11 『瓦礫の中から言葉を』


齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』

2015-02-11 10:20:25 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感 live at 星誕音楽堂』(おーらいレコード、1999年)を聴く。

Michel Doneda (ss, sopranino sax)
齋藤徹 (b)

このふたりの他の演奏がそうであったように、この記録も不思議な感覚に満ちている。

定型と不定形を行き来(ああ、往来か)する音楽に接したときには、思わぬイメージが現れ出てくるものだ。ここで脳内に出現したものは有機物のプール、または生命が誕生したころの原初の海。そのプールに、テツさんのコントラバスが絶えず衝撃を与える。そうすると、ドネダのサックスはぐちゃぐちゃの中からさまざまな生物の形になって水面にあらわれ、躍る。ときに、その生物は韓国の金石出のようにも見える。共振の記録である。

また別のときに聴いたら、森とか風といったものをイメージするかもしれないが。

●参照
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』
齋藤徹、2009年5月、東中野
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』
映像『ユーラシアンエコーズII』
ユーラシアンエコーズ第2章
ユーラシアン・エコーズ、金石出