天才スティーヴ・エリクソンが音楽について語るイヴェントがあり、無理に時間を作って足を運んだ(表参道のスイッチ・パブリッシングにて)。エリクソンが選んだ曲を流し、それについてコメントするという趣向である。話し相手は名翻訳家の柴田元幸さん。
以下、メモ。
* Stardust: Nat King Cole
回想の歌、何かの終わりの歌。秋のようなものだ。
(それに対して柴田さんは、「シャボン玉ホリデー」でこれを歌うザ・ピーナッツの映像を見せ、「子供にとっては日曜の終わり、明日から月曜日だという悲しい歌だった」とコメントして皆を笑わせた。)
* A Change Is Gonna Come: Some Cooke(流さなかった)
* Night Train: James Brown
40年代にはサックスのリフだけによる曲だったが、60年代に歌詞が付けられた。itinerary(旅程)のような歌詞。
アメリカで、列車をテーマにした曲は多い。アメリカの希望は、奴隷制が作られて破られたようなものだが、かつて、奴隷制に反対して奴隷を北部に運ぶ「Underground Train」もあった。
JBの音楽が、やがてファンクを生んだ。
* What Becomes of the Broken Hearted: Jimmy Ruffin
* Tracks of My Tears: Smokey Robinson & the Miracles(柴田さんのセレクト)
50年代に人種分離政策を違憲とする最高裁判決がくだされ、同じ年に、トラック運転手として働いていた白人のエルヴィス・プレスリーが、黒人のように歌う歌を発表してヒットさせた。これは偶然ではない。世間の白人の親たちは、自分の娘がロックンロールを聴いて黒人とダンスするようなことになるのではないかと心配したが、その通りになった。やがてデトロイトにモータウンというレコードレーベルができて、黒人の音楽に白人のポップスをミックスさせてゆき、それが多くの者の想像力をとらえた。
ところで、ジミー・ラフィンはデイヴィッド・ラフィン(テンプテーションズのメンバー)の兄だが、テンプテーションズのオーディションに堕ちている。
* Strawberry Fields Forever: the Beatles
The Silver Beatles(ビートルズの初期のグループ名)は、リヴァプールにごろごろあるバンドのひとつに過ぎなかった。リヴァプールは港町で、アメリカの船乗りがR&Bのレコードを持ち込んだりもしていたところだ。かれらは仕事にならずハンブルクに出かけ、そこでの活動を経て戻ってきたときには、まったく別のものになりおおせていた。ちょうど、歌も楽器もダメなロバート・ジョンソンが、ある日悪魔と取引をして、最高のブルースマンになったようなものだ。
これも回想の歌、追憶の歌。
* Visions of Johanna: Bob Dylan
* Madame George: Van Morrison
これらの曲を聴いたときに、自分は作家になりたいと思った。もはや従来の音楽的なテンプレートに合わせなくてもよいのであれば、文学だって同じことではないかと思った。「Visions ...」は、ジャック・ケルアックを、また、「Madame ...」は、ジェイムス・ジョイス『ダブリナーズ』を思わせる。ディランの歌は、言葉と音楽との融合によって、聴く者をトランスへと連れてゆくものだ。
* Village Green: the Kinks(柴田さんのセレクト)
* Waterloo Sunset: the Kinks
ヴォーカルのレイ・デイヴィスには、exileの視点がある。そして過去に焦がれるが、それは一度も存在したことのない過去であった。メロディもコーラスも過去から響いてくるように聞こえる。ここにも何かの終わりの感覚がある。
* Always Crashing in the Same Car: David Bowie
つい先日ボウイが亡くなったとき、自分の18歳の息子にはひどくこたえたらしい。また、『きみを夢みて』に登場する、ボウイを聴く女の子は、自分の娘をモデルにしている・・・実際にはビートルズを聴くのだが、作家は嘘つきだから(笑)。この曲は70年代における「未来の歌」だったが、40年が経った今でも「未来の歌」であり続けている。
ところで、このように50年代から70年代の歌をよく聴いているのだが、例えば、Public EnemyやRun-D.M.Cなんかのヒップホップなど新しいものも聴いてきた。ただそれは自分の音楽ではない。
* Angel Eyes: Frank Sinatra
シナトラは、20世紀のアメリカでもっとも偉大な歌手だ。革命であり、その影響が大きすぎたために、いまではその凄さがわからない結果になっている。
かつては、ビング・クロスビーのようにマイク近くで甘い声をささやく「クルーナー」であった。だが、エヴァ・ガードナーに恋をして、離婚してまでも一緒になり、その後また破綻して、そのときにはより良い歌手になっていた。また、ビリー・ホリデイからは、自分を歌に込めること、誰の書いた曲であれ歌を自分のものにすることを吸収した。
この「Angel Eyes」は、ガードナーとの愛の破綻から6年が経っているのだが、それでも、ガードナーのことを考えているのではないかと思わされてしまう。
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エリクソンのセレクトする曲には、過去を追憶するものが多いことが印象的だった。そのことが、脳内を旅して現実とも妄想とも判断できない文学を生み出すことにつながっているのかもしれない。
ちょうど発売されたばかりの『ゼロヴィル』にサインをいただいた。
●参照
スティーヴ・エリクソン『きみを夢みて』