Sightsong

自縄自縛日記

トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』

2016-03-20 23:39:10 | 環境・自然

トーマス・トウェイツ『ゼロからトースターを作ってみた結果』(新潮文庫、原著2011年)を読む。

何だかよくわからないが、著者は、トースターを全部自分で作ってみようと思い立った。部品を買ってきて組み立てるのではない。部品のマテリアルからすべて作るのである。

まずは真似の基本、リバース・エンジニアリング。安物であっても、トースターの中には実にさまざまな素材によるさまざまな部品が入っている。

鉄は、鉄鉱石を調達してスーツケースに詰め込んで帰り、手製の炉で精錬。しかし、コークスを使った還元と、燃焼させるための酸素の供給とのバランスの解決がうまくいかない。銅は、銅鉱山の強酸性の水をタンクで持って帰り、電気分解。ニッケルは、ebayで硬貨を調達して溶かす(なんて罰当たりな)。筐体のプラスチックは、原油から精製して作るなんてできるわけもなく、じゃがいもからバイオマスプラスチックを作ろうとしたが挫折。結局、化石燃料だって過去の時代のものが溜ってできたものだし、ということで、無理やり相対化して、人間時代の遺物であるプラごみを溶かして型に流し込む(その型だって高温に耐えられるよう、丸太を削った力技)。

面白く、ときどき声を出して笑いそうになってしまう。なんてことない安物の部品であっても、そのすべてに文明の歴史と工学技術が詰まっている。著者は、この過激なる実践によって、それを体感し、巨大化した産業社会の姿を垣間見るわけである。さらには、正当なコストの反映や、環境の外部費用の内部化といったことについて思索する。

完成品は、表紙にある現代美術風のものである。はたしてこれを使い、パンに、旨さのしるしであるメイラード反応を与えることができるのか。それは読んでのお楽しみなのだが、まあ、どちらでもよいことだ。

抽象的に環境問題や社会変革をとらえることの限界を感じるためにも推薦。


ヘンリー・スレッギル(12) 『Old Locks and Irregular Verbs』

2016-03-20 10:59:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギル『Old Locks and Irregular Verbs』(Pi Recordings、2015年)を聴く。

Henry Threadgill (composition)
Jason Moran (p)
David Virelles (p)
Roman Filiu (as)
Curtis MacDonald (as)
Christopher Hoffman (cello)
Jose Devilla (tuba)
Craig Weinrib (ds)

新グループ「Ensemble Double Up」ではこれまでとは違って、スレッギルは作曲に専念している(クルト・ヴァイル曲集『Lost in the Stars』において1曲だけ参加した「The Great Wall」でも同じような形ではあったけれど、とにかくこれはフルアルバムなのだ)。ブッチ・モリスの「Conduction」に捧げられたものであり(たとえば『Possible Universe / Conduction 192』)、モリスの発展が今後のスレッギルの方向ということかもしれない。

かれのアルトを聴けないのは残念だが、ジャック・デジョネット『Made in Chicago』(2013年)やワダダ・レオ・スミス『The Great Lakes Suites』(2014年)などの最近の吹き込みにおいて、かつての時空間を切り裂くパワーが衰えていることは事実であり、作品を出してくれるだけで歓迎である。

編成は近年の「Zooid」からずいぶん変化している。チェロのクリストファー・ホフマンとチェロのホセ・デヴィラは継続だが、何しろアルトがふたり、ピアノがふたり。他のアルト奏者を入れることも寂しいような気がするが、それは置いておいても、ピアノを入れるのはあまりなかったのではないか。マイラ・メルフォードやアミナ・クローディン・マイヤーズの名前を思い出すくらいである。

そんなわけで不安と期待を感じつつ聴いてみたところ、紛れもなくスレッギルの音楽である。これまで通りチューバやチェロを入れたアレンジはスレッギル得意のものだっだが、ピアノもアルトもスレッギルの雰囲気を再構築する。演奏のフォーカスは、ピアノに、チェロに、チューバに、アルトにと自在にシフトしていく。ただ、ピアノとアルトとに依存する分、これまでの低音アンサンブルの異常なる緊密性がさほどでもないような印象がある。ということは、今後のこのグループでの発展が楽しみだということでもある。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1)
ヘンリー・スレッギル(2)
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス
ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー
ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ
ヘンリー・スレッギル(11) PI RECORDINGSのズォイド
ワダダ・レオ・スミス『The Great Lakes Suites』
ジャック・デジョネット『Made in Chicago』


ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』

2016-03-20 00:56:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

ロドリゴ・アマド『This Is Our Language』(Not Two、2012年)を聴く。

Rodrigo Amado (ts)
Joe McPhee (pocket tp, as)
Kent Kessler (b)
Chris Corsano (ds)

ロドリゴ・アマドは濁ってブルージーなテナーサックスを吹き続け、ジョー・マクフィーがポケット・トランペットとアルトサックスとでこれに応じる。持てる力を限られた時間のセッションに注ぎ込む、フリージャズらしいフリージャズとでも言うのだろうか。

この中でもっとも印象的はプレイヤーは、ドラムスのクリス・コルサーノだ。素早く、鋭く、繊細で、一音一音の分解性が良いばかりかその一音ごとの響きがとても綺麗なのである。

●参照
ジョー・マクフィー+ポール・ニルセン・ラヴ@稲毛Candy(2013年)
ジョー・マクフィー『Sonic Elements』(2012年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)(ジョー・マクフィー参加)
ジョー・マクフィーとポール・ニルセン-ラヴとのデュオ、『明日が今日来た』(2009年)
『Tribute to Albert Ayler / Live at the Dynamo』(2008年)(ジョー・マクフィー参加)
ジョー・マクフィーの映像『列車と河:音楽の旅』(2007年)
ウィリアム・パーカー、オルイェミ・トーマス、ジョー・マクフィーら『Spiritworld』(2005年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)(ジョー・マクフィー参加)
クリス・コルサーノ、石橋英子+ダーリン・グレイ@Lady Jane(2015年)
メテ・ラスムセン+クリス・コルサーノ『All the Ghosts at Once』(2013年)


ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』

2016-03-20 00:15:00 | 北米

amazonプライムで、ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』(2000年)を観る。

いや馬鹿馬鹿しい。金持ちのプレイボーイとか美少女の不治の病とか、ベタベタのネタを並べてみた感じ。濡れ場の処理はお決まりの「小鳥が飛ぶ朝」とか「すりガラス」。このダメ極まりない演出に、どうしようもないイモ俳優のリチャード・ギア。目当てはウィノナ・ライダーだったのだが、キャラ作り過多の演出で痛々しい。

ところで、リチャード・ギアの生き別れた娘が働く場所が「ネイティブ・アメリカン博物館」だが、見たところ、マンハッタン最南端にある国立アメリカ・インディアン博物館である。この名称については「ポリティカリー・コレクト」ではないとの議論があったというが、その意識があったのかどうか。