金時鐘さんが『朝鮮と日本に生きる』により大佛次郎賞を受賞し、それを記念した講演会が開かれた(2016/3/12、横浜市開港記念会館)。会場は満員だった。
金時鐘さんは、一聴して驚かされるほど明確に、ことばをなにものかで包むことなく発する。それは、この日本語ということばを抱えてしまったことに対する明らかな意識からであり、また、ゴツゴツしたことばを自らのものとして固めて発することを、日本語への復讐として覚悟しているからでもあった。
1時間強の講演は以下のようなもの。(文責は当方にあります)
●解放のとき、1945年8月15日、無力感を覚えた。天がひっくりかえったようだった。その日の午前中まで皇国少年であった。朝鮮の歴史も知らず、ことばも使えなかった。
●現在の日本の守旧勢力、国家主義的・歴史修正主義的勢力は戦前を懐かしんでいるように見える。怯えすら感じてしまう。
●かれらはポツダム宣言の内容すら認識していなかった。戦後日本の出発点であるにも関わらず。しかしそれは為政者だけではない。日本の国民も近現代史に疎く、白紙状態であるように見える。そして金氏は「亜日本人」だ。
●解放後まもなく、アメリカ進駐軍はソウルで軍政を敷き、解放の動きを封圧した。朝鮮総督府の高級官吏や大物たちを職務に復帰させ、祖国はもとのもくあみ。そして「反共」だけが正義となった。
●南朝鮮だけの単独選挙による祖国の分断に対し、済州島民が反対し、武装蜂起にいたった。その結果、アメリカが差し伸べた韓国軍・警察により、島民28万人のうち、公称3万人が虐殺された(1948年、四・三事件)。実態としては犠牲者は5万人をくだるまい。
●金氏は九死に一生を得て、父親がすべてをおカネにかえて、大嫌いな日本に送ってくれた。
●ことばは意識の下地である。金氏は植民地支配をした宗主国のことばしか十分に使うことができない。自分のことばを持っていない。
●日本語はやさしいことばである。韻律を持ち、情感の流露があり、侵す側の驕りを持たない。侵略戦争のさ中にも、詩人たちが率先して短歌や童謡を書いた。
「兵士たちは、家族を想い、故郷を偲んで、まぶたを濡らしていたでしょう。抒情歌が口をついて流れていたに違いありません。」
●しかし、そのような歌にはもともと批評がなかった。侵される側に想いを馳せず、歌う人の情のみ満たされるものであった。
●金氏の詩は、「日本語への報復」なのだった。
●朝鮮半島は歴史上何度も侵略されたが、他国を侵略したことがないことが誇りであった。しかし、朴正熙はベトナム戦争に韓国軍を派遣し、軍はたいへん残虐なことを行った。そこに軍人として赴いていた全斗煥が、朴が暗殺されたあとに大統領になりおおせ、民主化を求める市民たち200名あまりを殺した(1980年、光州事件)。事件を想い書いた『光州詩片』は、事件から30周年を記念して韓国語に訳出されるはずであったが、5年も要してしまった。金氏の日本語が独特に過ぎて韓国語になかなかはまらなかったからだ。
「なめらかで、流麗で、音節のとれることばではない。」
●日本で済州島でのことを伏せて「民戦」(朝鮮総連の前身)の活動に身を投じたのは、記憶から気をそらすためでもあった。
●また、済州島において朝鮮労働党の党員として活動していたことが、「人民蜂起」であることを辱めるのではないかとの意識もあった。なぜなら、アメリカは済州島の人民蜂起を「共産暴動」だと位置づけようとしていたからだった。実際には、数の多くない党の活動だけで、弾圧されながら3年も続くはずはない。また、仮に不法入国だとして強制送還されたら、韓国では確実に死を迎える。保身でもあった。
●済州島から脱出してきたことが後ろめたさとなって、胃を棘のように刺して眠れなくなる。いまでも犠牲者の姿が浮かんできて、眠りにつくのが怖い。犠牲者は、見せしめのために外に放置され、そのうちに首から下の肉が落ち、蛆がそこに集まってうねった。腐乱死体の臭気は発狂しそうなものであり、脳の芯にこびりついて離れない。敬虔な気持ちで犠牲者を悼むのは、罪深いことに思えてならない。日本の人びとは、死者に対して、生身の身体を考えるだろうか。墓は整然と並び、死を思わせないものではないか。
「死者の生身を想ってほしいのです。」
●済州島で金氏が追手から逃れ潜んでいた場所(いまの空港のゲート近く)は、母方の実家であり、叔父が住んでいた。かれは地域の区長でもあり、討伐隊をもてなすこともした。それを蜂起部隊は「寝返った」と認識し、竹槍で刺殺した。かれは腸をはみださせて3日間苦しんで亡くなった。その断末魔の声と、家族の嘆く声を覚えている。自分が隠れていたために、必要以上に討伐隊をもてなしたのではなかったか。その負い目がある。
●金大中が1988年に大統領になり、金氏にもビザが発行され、50年ぶりに故郷に帰った。罵倒されるかと思っていたが歓迎された。
●そこで、叔父の魂を鎮めるための祭礼を6時間かけて行った。社会主義の史的唯物論が意識を作り上げていたのではあったが、迷信だと思っていた唯神論も認めるようになった。いや、地元の神でなければ魂を鎮めることはできない。
●社会主義はソ連とともに崩壊したのだが、それは当然とも言える。人間の精神まで統括しようとして「主義」が敗れたのである。
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会場からは、従軍慰安婦について、また、金沢で獄死した尹奉吉(ユン・ポンギル)についての発言があった。金時鐘さんはゆっくりと考えを述べた。
●参照
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』
金時鐘『境界の詩 猪飼野詩集/光州詩片』
細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』
『海鳴りの果てに~言葉・祈り・死者たち~』
『海鳴りのなかを~詩人・金時鐘の60年』
金石範、金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』
金石範講演会「文学の闘争/闘争の文学」
金石範『万徳幽霊奇譚・詐欺師』 済州島のフォークロア
金石範『新編「在日」の思想』
『済州島四・三事件 記憶と真実』、『悲劇の島チェジュ』
オ・ミヨル『チスル』、済州島四・三事件、金石範
文京洙『済州島四・三事件』
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
済州島四・三事件と江汀海軍基地問題 入門編
梁石日『魂の流れゆく果て』(屋台時代の金石範)
仲里効『悲しき亜言語帯』(金時鐘への言及)
林海象『大阪ラブ&ソウル』(済州島をルーツとする鶴橋の男の物語)
金賛汀『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(済州島から大阪への流れ)
藤田綾子『大阪「鶴橋」物語』
鶴橋でホルモン(与太話)
尹東柱『空と風と星と詩』(金時鐘による翻訳)
『越境広場』創刊0号(丸川哲史による済州島への旅)
徐京植、高橋哲哉、韓洪九『フクシマ以後の思想をもとめて』(済州島での対談)
新崎盛暉『沖縄現代史』、シンポジウム『アジアの中で沖縄現代史を問い直す』(沖縄と済州島)
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』(沖縄と済州島)
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島(祝島と済州島)
野村進『コリアン世界の旅』(つげ義春『李さん一家』の妻は済州島出身との指摘)
加古隆+高木元輝+豊住芳三郎『滄海』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
豊住芳三郎+高木元輝 『もし海が壊れたら』、『藻』(「Nostalgia for Che-ju Island」)
吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」