Sightsong

自縄自縛日記

クリス・スピード『Platinum on Tap』

2017-12-24 21:30:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリス・スピード『Platinum on Tap』(Intakt、2016年)を聴く。

Chris Speed (ts)
Chris Tordini (b)
Dave King (ds)

中が不思議にからっぽの木を共鳴させるようなクリス・スピードのテナーは、いつも通りである。それがサックストリオで、奇妙にのほほんとした感覚がある。あとのふたりともスーパーに予測不可能な音を発してくる人たちではない、そのこともあるだろうか。気持ちいいサウンドである。リラックスして、かすれそうでかすれない筆で文字を書き続けているような。

どれもいいのだが、ホーギー・カーマイケルの「Stardust」は、スピード的でありながら古くも新しくも聴こえて、何度もリピートしてしまう。

●クリス・スピード
クレイグ・テイボーン『Daylight Ghosts』(2016年)
及部恭子+クリス・スピード@Body & Soul(2015年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
三田の「みの」、ジム・ブラック(2002、2004年)
ブリガン・クラウス『Good Kitty』、『Descending to End』(1996、1999年)


『南方熊楠 100年早かった智の人』@国立科学博物館

2017-12-24 20:10:32 | 環境・自然

上野の国立科学博物館で、『南方熊楠 100年早かった智の人』という企画展を観る。

南方熊楠の評価、またこの企画展の位置づけは、次の文章で明らかに示されている。

「南方熊楠は、森羅万象を探求した『研究者』とされてきましたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした『情報提供者』として評価されるようになってきました。」

本展は熊楠の活動ぶりを、かれが採取した標本や、文献を書き写した膨大なノート(抜書)や、やはり膨大に描き残した「菌類図譜」などの紹介によって示さんとするものである。紹介される分野としては、菌類、粘菌(変形菌類)、地衣類、藻類などのよくわからない生物ども。

こうして自然・世界の不思議をミクロな目でひたすら観察・収集し、しかも分野間をなにかにこだわることなくつなぎおおせる。公開され自由にピックアップ可能なアーカイブであり、インターネット時代にふたたびシンパシーの対象となることはよくわかる。神社合祀への反対は貴重な鎮守の森の生物が消えてしまうことに対するマニア的な活動であり、『十二支考』などはとにかく多くのネタを集めてつなぎなおすという知的快感のもとで書かれたものだったに違いない(熊楠は、確かどこかに、『十二支考』の執筆にあたり、「締切がやばいなー、ただのコピペだと芸がないしなー」なんてことを書いていた)。しかも、この常軌を逸した分量の「菌類図譜」は、どうも、書き続けることによって熊楠が自身の精神を安定させるという目的もあったようなのだ。まさに現代。

この企画展の分野に近い『森の思想』においては、中沢新一が、80年代の雰囲気でマンダラがどうの東アジアがどうのともっともらしいことを書いている。いずれ河出文庫のシリーズもその恥ずかしい「解題」を変えざるを得なくなるだろう。

それはともかく、展示は面白い。街路樹にも生きている地衣類は、藻類と菌類とがwin-winの関係で共生して成り立っている(サンゴのようだ)。粘菌(変形菌類)も、まあよくこんなヘンなものに注目したねと思えるものばかり。そして4000点近く作成した「菌類図譜」では、また妙な形のきのこばかりが描かれ、余白にはびっしりと情報が書き込まれている。会場内で流されるヴィデオの中で、安田忠典・関西大学准教授が、「絵は下手だが情報収集量に価値がある」といった発言をしている。なるほど下手で楽しそうだ。


変形菌類


菌類


地衣類


「菌類図譜」

●南方熊楠
南方熊楠『森の思想』


マリオ・パヴォーン『chrome』

2017-12-24 12:20:31 | アヴァンギャルド・ジャズ

マリオ・パヴォーン『chrome』(playscape recordings、2016年)を聴く。

Mario Pavone (b)
Matt Mitchell (p)
Tyshawn Sorey (ds)

『Blue Dialect』(2014年)と同メンバーの「dialect trio」による作品。

確実に現代的でエッジ―なものでありながら、何なのだろうと圧倒される。それはほかのマット・ミッチェルやタイショーン・ソーリーの参加作にも言えることで、かれらが独自で強靭きわまりない構造を創っているようなのだ。

リーダーのマリオ・パヴォーンがもっとも過去の尻尾を引きずっている印象だが、それがバランスという意味でいいのかもしれない。

●マリオ・パヴォーン
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)

●マット・ミッチェル
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)

●タイショーン・ソーリー
ヴィジェイ・アイヤー『Far From Over』(2017年)
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
マット・ブリューワー『Unspoken』(2016年)
『Blue Buddha』(2015年)
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
イルテット『Gain』(2014年)
スティーヴ・リーマンのクインテットとオクテット(2007、2008、2014年)
マイラ・メルフォード『Snowy Egret』(2013年)
ジョン・エスクリート『Sound, Space and Structures』(2013年)
フィールドワーク『Door』(2007年)


飽きもせずに蒲田の魚寅食堂と喜来楽

2017-12-24 10:12:23 | 関東

なにしろ蒲田LOVEなので、2週間前に飲んだばかりの蒲田にまた遠征し、編集者のMさん、OAM(沖縄オルタナティブメディア)のNさんと忘年会らしきもの。

■ 魚寅食堂

300円メニューを揃えている安酒場。まぐろも3切れ、鯛も3切れ。あんこうの唐揚げなんかわりに旨かった(これは300円ではない)。沖縄の「越境広場」誌やホッピーやなんかの話。

■ 喜来楽(シライル)

やはりこの台湾料理屋に来なければ年を越せない、というわけでもないのだが、やはり吸い寄せられるように足が勝手に向かう。阿部薫、柄谷行人とNAM・ひまわり運動、汪暉、坂口安吾、沖縄の安宿、下丸子文化集団、『三里塚のイカロス』など雑談をしながら、「アド街ック天国」の銀座特集を視てケチをつけたりしているうちに、いつものように、おばちゃんのアナーキズムがとどまることなく炸裂しはじめた。

アヒルと台湾の高菜の汁だとか、朝食べるお好み焼きのようなものだとか、テールスープだとかあれこれと旨いものを出してくれたり、突然、このくそ寒いのに外で美容師さんに髪を切ってもらっていたり。牡蠣のお好み焼きを切ってくれるといいながら面倒くさくなって急にやめたり。金門島の高粱の酒(58度!)を勧められて舐めていると、なぜか次に台湾からわたしが買って帰ることになっていたり。脇腹が苦しい。最後にはみかんとお菓子をくれた。また、Mさんはなぜか京急蒲田というラベルが貼られた静岡の地酒(???)をくれた。

そんなわけで、また来なければならない。

●蒲田界隈
飽きもせずに蒲田ののんき屋と金春本館と直立猿人
チンドン屋@蒲田西口商店街
飽きもせずに蒲田の八重瀬とスズコウ
飽きもせずに蒲田の三州屋と喜来楽(と、黒色戦線社)
飽きもせずに蒲田の東屋慶名
飽きもせずに蒲田の鳥万と喜来楽
蒲田の鳥万、直立猿人
蒲田の喜来楽、かぶら屋(、山城、上弦の月、沖縄)
蒲田のニーハオとエクステンション・チューブ
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」
深作欣二+つかこうへい『蒲田行進曲』、『つかこうへい 日本の芝居を変えた男』
庵野秀明+樋口真嗣『シン・ゴジラ』
道場親信『下丸子文化集団とその時代』


Seshen x 蓮見令麻@喫茶茶会記

2017-12-24 09:02:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

四谷三丁目の喫茶茶会記(2017/12/23)。

Seshen (vo, movement)
Rema Hasumi 蓮見令麻 (p)

蓮見ソロ、Seshenソロ、デュオの順に行われた。

蓮見さんのピアノ演奏は、音楽が種から生まれたちのぼる瞬間のプロセスを繰り返すようだった。緊張感が張り詰めるということとも違う。なにか常ならぬことを目撃するような感覚か。演奏中にもちろん静寂もあるものの、それが音楽の途上で亀裂を生じさせないように見守るのではなく、それを観客も、また蓮見さん自身も当然のこととして受けとめていた。

次にSeshenのソロ・パフォーマンス。どこかから声が聴こえる。こうなると発生源は喉だとも言えず身体全体であり、それが場と境界を隔てることなくつながっていた。その増幅と共振のプロセスを目撃したのだった。彼女は体躯を前方に折り曲げてゆき、最後には鳥になったように見えた。

休憩をはさまずデュオ。Seshenは床面をスキャンし、その探索の動きを水平から垂直へと持ち上げてゆく。天をめざすような場面も、髪の毛によって顔を隠し匿名化する場面もあった。彼女はまた媒介者でもあり、それが、ピアノ演奏と場とをつなげているようだった。蓮見さんのプレイも明らかにソロとは異なり、複数者の流れの中に身を置いた。そしてまた、Seshenは鳥になった。

ご出産後はじめての日本での演奏だったが、蓮見さんは元気そうだった。この9月にNYのRouletteでマタナ・ロバーツのコンサートにご一緒したときも同じで、演奏時も、他人のパフォーマンスを観るときも、なにかを感知する端子が場に向けられているように思えてうれしかった。

ちょうど来日しているベン・ガースティンも来て動画を撮っていた(今回はかれのライヴに行けず残念)。「While We Still Have Bodies」の新譜を持ってきていれば欲しかったのだが、もう出発前にばたばたしていて忘れてしまったと笑っていた。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4

●蓮見令麻
蓮見令麻@新宿ピットイン(2016年)
蓮見令麻@荻窪ベルベットサン(2015年)