Sightsong

自縄自縛日記

行定勲『クローズド・ノート』

2012-10-15 00:19:38 | アート・映画

行定勲『クローズド・ノート』(2007年)を観る。

アパートに引っ越してきた香恵(沢尻エリカ)。鏡台の中に、前の住人のものらしきノートが残されていた。そこには、小学校教師としての意気込みや悩みが綴られていた。一方、香恵のバイト先の万年筆店には、一風変わったイラストレイターのリョウ(伊勢谷友介)が、自分の記憶にある書き心地の万年筆を探しにきていた。リョウに惹かれる香恵。しかし、リョウには忘れられない人がいた。その女性・小学校教師の伊吹(竹内結子)こそが、ノートの書き手なのだった。香恵はノートを持って小学校に足を運ぶが、既に、伊吹は交通事故で亡くなっていた。

香恵と伊吹の物語がパラレルに語られてゆき、それらが、リョウと、ノートと、万年筆を結節点として重なる。不自然でしらじらしい描写があるものの、爽やかなミステリー仕立てだ。

沢尻エリカは、前年の生野慈朗『手紙』(2006年)(>> リンク)といい、とても良い演技。綺麗で可愛いだけでなく、表情に実に味がある。しかし、この映画の舞台挨拶で、有名な「別に!」発言が飛び出し、メディアのバッシングの対象になってしまう。惜しいなあ(『ヘルタースケルター』をまだ観ていないけど)。

香恵のバイト先の「イマヰ万年筆」では、先輩の永作博美が、香恵の使う万年筆について蘊蓄を傾ける場面がある。それはイタリア・デルタ社の「ドルチェビータ・ミニ」であり、オレンジ色のレジンを、永作は「南イタリアの日射し」だと表現する。これは宣伝文句なのでもあって、実のところ、わたしもこの色にやられて入手したクチである(ひとまわり大きい「ドルチェビータ・スリム」だが)。

もうひとつ目立つ万年筆が、伊吹が使うエンジ色のものだ。どこの製品かなと調べたら、中屋万年筆の特製品なのだった(>> リンク)。キャップにトリムがない意匠がスマートで、いつか使ってみたい。


ドルチェビータ・スリム

●参照
生野慈朗『手紙』と東野圭吾『手紙』(沢尻エリカ)
万年筆のペンクリニック


ダニエル・カーター『The Dream』、ウィリアム・パーカー『Fractured Dimensions』

2012-10-14 11:16:35 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウィリアム・パーカーは、超重量級でいて柔軟なベーシストである。『北斗の拳』でいえば、ラオウの剛の拳とトキの柔の拳を併せ持つような無敵ぶりだ。しかも多作ときていて、中古棚を探すたびに何かが出てくる。

■ ダニエル・カーター+ウィリアム・パーカー+フェデリコ・ウーギ『The Dream』(577 Records、2006年)

Daniel Carter (as, ts, fl, tp, cl, p)
William Parker (b, tuba, 尺八)
Federico Ughi (ds)

ダニエル・カーターは60代後半のマルチ楽器奏者。ここでも、サックス、フルート、クラリネット、トランペットを吹くのに加え、ピアノまで弾いている。

これまであまり聴く機会がなかったのだが、聴く方も耳が散漫になってしまい、何が彼の音色やフレーズの特色なのか、まだよくわからない。オーソドックスなアプローチであることは確かだ。

それでも、パーカーとのコラボレーションは良い。パーカーは、彩溢れるリズムでボディを攻め続け、また、「ブホブホブホ」と、チューバで低音にさらなる色を塗っていく。

■ ウィリアム・パーカー+ロイ・キャンベル*+ダニエル・カーター+アラン・シルヴァ『Fractured Dimensions』(FMP、2003年)

William Parker (b)
Roy Campbell (tp, flh)
Daniel Carter (fl, cl, as, tp)
Alan Silva (syn, p)

吹き込みが遡るが、カーターに加え、ロイ・キャンベルと、フリージャズの御大アラン・シルヴァが参加する。

ここでは、カーターはやはり楽器をさまざまに持ち替え、キャンベルとともに模様を描いていく。しかしここでの聴きどころは、間違いなくシルヴァのシンセサイザーだ。表面を削るような音色のシンセは、ときに鳴らすピアノと相まって、音楽に厚みを持たせている。

長い演奏での盛り上がりは興奮必至なのであって、聴いていると、自分がどの地点にいるのかわからなくなる。

そしてパーカーは常に真ん中に存在する。これは素晴らしい。

●参照
ウィリアム・パーカーのベースの多様な色
ウィリアム・パーカーのカーティス・メイフィールド集
ジョー・ヘンダーソン+KANKAWA『JAZZ TIME II』、ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』 オルガン+サックスでも随分違う
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
ウィリアム・パーカー『Luc's Lantern』
ウィリアム・パーカー+オルイェミ・トーマス+リサ・ソコロフ+ジョー・マクフィー+ジェフ・シュランガー『Spiritworld』
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ウィリアム・パーカーが語る)
ESPの映像、『INSIDE OUT IN THE OPEN』(ウィリアム・パーカーが語る)
サインホ・ナムチラックの映像(ウィリアム・パーカー参加)
ペーター・ブロッツマン(ウィリアム・パーカー参加)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ウィリアム・パーカー参加)


東野圭吾のテレビドラマ『回廊亭殺人事件』、『11文字の殺人』

2012-10-14 00:26:16 | アート・映画

東野圭吾原作のテレビドラマとして、2011年に放送された『回廊亭殺人事件』『11文字の殺人』を観た。

結論。永作博美はやっぱり良い女優。(なんだ、調べてみると同い年。)

●参照(永作博美)
成島出『八日目の蝉』
山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』と井口奈己『人のセックスを笑うな』
本谷有希子と吉田大八の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』


八代亜紀『夜のアルバム』

2012-10-13 01:04:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

八代亜紀がついにジャズ・アルバムを出すというので、ひたすら楽しみにしていた。タイトルはなんと『夜のアルバム』(Emarcy、2012年)。そうきたか!

昨日入手し、帰宅してから繰り返し聴いている。もう三回転目だ。

八代亜紀 (vo)
有泉一 (ds)
河上修 (b)
香取良彦 (p, vib)
田辺充邦 (g)
岡淳 (as, ts)
山木秀夫 (ds) <9>
渡辺等 (b) <3>
江草啓太 (p) <12>
布川俊樹 (g) <5>
田ノ岡三郎 (accordion) <6>
木村 "キムチ" 誠 (perc) <4,7,9>
松島啓之 (tp) <8>
織田祐亮 (tp) <12>
藤田淳之介 (as) <12>
石川善男 (fh) <12>
CHIKA STRINGS (strings) <4,9>

小西康陽がプロデュース、編曲、日本語詞の作詞なども手掛けていて、さらにこのサイドメン。真っ当なジャズ作品にしようとの気合が入っている。

これが良いのだ。亜紀ちゃんの、文字通りシルクのようなハスキーヴォイス、ヴィブラート、微妙にシフトする母音、ささやき、含み。何ちゅう声か。さらに、英語と日本語を混ぜてくるなど快感というほかない。

「Fly Me to the Moon」では、後半の日本語詞になった途端、テンションが一段上に上がり、ベースも亜紀ちゃんも乗ってくると同時に、音楽に命が吹き込まれる。「Cry Me a River」は、以前に『一枚のLP盤』に吹き込んでいたが、どうも試行的だった。これは立派。愛の唄「Johnny Guitar」(邦題を「ジョニー・ギター」でなく「ジャニー・ギター」としたところがイイね)は、沁みてくる。「五木の子守唄」と「いそしぎ」をメドレーでつなぐなんて見事。「Summertime」では、香取良彦がピアノからヴァイブにきりかえて、布川俊樹のギターとともに気持ちよく変化をつける。「枯葉」ではアコーディオンが入り、いかにも「ベタ」ではあるが、この世界は全部が「ベタ」だからその気で聴けば良いのだ。

後半になると、突然、ジャズスタンダードから昔の日本の流行歌になる(知らないし)。りりィの「私は泣いています」、松尾和子の「再会」、誰が唄ったのやら「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」や「ただそれだけのこと」。こうなると、もうしっとりとして情も涙も後悔もある場末の夜になってしまい、心がどこかに彷徨い出す。岡淳の歌伴サックスも板についている。

そして最後は、「Over the Rainbow」。

最高。最高の最高。

●参照
八代亜紀『一枚のLP盤』


小林良彰『政権交代』

2012-10-12 00:12:10 | 政治

小林良彰『政権交代 民主党政権とは何であったのか』(中公新書、2012年)を読む。

著者は、政権交代の原動力を、自民党への懲罰だとする。ところが、何についての懲罰なのか明確でない。確かに、小泉政権以来の新自由主義政策による悪影響、そしてその不徹底だという指摘はある。しかし、それ以外については、支持率や状況の推移を追っていくのみであり、安部政権のイデオロギー的な危うさや、日米安保の行き詰った矛盾に関しては指摘されていない。

民主党政権に交代してからの分析結果は、マニフェストの実現がほとんど達成できていないことを明らかにする。その間の政局の解説は、まるで想いの全くない人が俗っぽい新聞記事を並べたようであり、他人事のようだ。

たとえば、普天間基地問題については、それが日米安保の歪んだ歴史のあらわれだということには全く想いを馳せず、鳩山首相の「みんなに良い顔をしようとする」欠点をあげつらう。決定力がないことを、政治的資質のなさだと切ってすてているわけである。そもそも矛盾だらけの構造を変えようとした点を、まったく考えていないのである。

また、領土問題を巡り、中国、ロシア、韓国に強硬的な行動を取られたことについては、米国との関係が希薄になったからだとする。「ほら、見たことか」と言わんばかりだ。短期的に米国の後ろ盾が弱くなったからなめられたのだ、というわけである。やはり、歴史的な経緯は著者には無関係のようだ。

前原外相に在日外国人からの献金があった問題については、それが少額であり、政局の中でことさらに問題視されたことは考えない。「問題になった」から、「問題」なのである。

菅首相が福島第一原発への海水注入を中断させたことは、現首相がメルマガで流した誤情報であることがすでに判っているが、前者のみを客観的であるかのように解説し、後者への言及はない。

何があったのかを振り返るには良い本かもしれないが、評価はしない。民主党ブレーンによって書かれたという点で毛色が違うが、山口二郎『政権交代とは何だったのか』(岩波新書、2012年)の方が遥かに良書だ。政局ばかりを述べて高みから現象を眺めるよりも、何を理想とするのかの想いが伝わってくるほうが良い。

最後に、「民意」を反映する選挙制度の提言がある。分析によれば、日本の有権者が投票に際して考慮しているのは、主に、候補者の所属する政党なのだという。そのため、比例代表制を中心とした制度にすべきだとする。これには賛成だ。もちろん、票の数をより反映させるためではなく、似通った二大保守政党以外の声を強くしなければならないからである。

●参照
山口二郎『政権交代とは何だったのか』
菅原琢『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』
西川伸一講演会「政局を日本政治の特質から視る」


コバウおじさん

2012-10-10 23:55:37 | 韓国・朝鮮

『コバウおじさん』は、韓国の新聞(東亜日報、朝鮮日報など)に長年連載されていた4コマ漫画である。作者は金星煥(キム・ソンファン)。

姓はコ(高)、名はバウ(岩の意味)。高潔で頑固という意味も込められているらしい。とは言っても、見るからにプライドが高い男、あるいは頑固オヤジというわけではない。キョトンとしていて、なかなか間抜け。普段はピンと立っている1本の髪の毛は、驚いたり呆れたりするとふにゃふにゃに波打つ。実に愛嬌がある。

民主化前の独裁政権時代の韓国において、コバウおじさんは、権力をからかい、笑い飛ばした。権力者はよほど腹を立てたものらしく、李承晩朴正煕の時代には、KCIAに連行されたり、内容を強制的に変更させられたり、休載させられたりしている。それでも、人気のあるコバウおじさんに手を出すことは逆効果となってきて、最後には手を出せない存在となってきたという。反骨の人なのである。

日本では、風刺漫画は、純粋漫画から一段落ちるものとみなされているように見える。わたしも、筒井康隆がそのように書いていた文章を読んでから、ずっとそう考えてきた(何しろ中学高校時代はツツイストだったのだ)。

しかし、そうではない。飛翔する純粋想像世界であろうが、批評的な言説であろうが、ナイーヴな感情世界であろうが、すべては人間のかかわりである。世界を独立な軸に分けて見つめることは、分析手法のひとつでしかありえない、とも言うことができる。

金星煥・植村隆『マンガ韓国現代史 コバウおじさんの50年』(角川ソフィア文庫、2003年)は、題名の通り、韓国の現代史において重要な事件を解説しながら、そのときのコバウおじさんの言動を紹介する本。鄭仁敬『コバウおじさんを知っていますか 新聞マンガにみる韓国現代史』(草の根出版会、2006年)は、漫画技術の面からコバウおじさんの独自性を示した本。

どちらも、コバウおじさんに惚れこんだ人によって書かれている。面白いし、勉強にもなる。

●参照
金芝河のレコード『詩と唄と言葉』
徐京植『ディアスポラ紀行』
T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』
阪本順治『KT』 金大中事件の映画
四方田犬彦『ソウルの風景』
金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』


ガトー・バルビエリ『In Search of the Mystery』

2012-10-10 00:53:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

ガトー・バルビエリの初リーダー作『In Search of the Mystery』(ESP、1967年)を、ようやく、はじめて聴いた。

Gato Barbieri (ts)
Calo Scott (cello)
Norris Jones "Sirone" (b)
Bobby Kapp (ds)

ロングトーン中心に盛り上げる後年のスタイルにまだ辿りついていない。少しイーヴォ・ペレルマンを彷彿とさせるテナーの音でもある。しかし、はじまりにして既にガトーだ。

チェロとベースの弦2本が励起する雲の上で、ガトーは、自分で自分を感動させるように吹き続け、天上から降りてくることを拒絶する。以前も彼の吹く映像を観ながら思った、この人は自分の音に感涙を浮かべてさらに盛り上がっているに違いないと。最初から最後までクライマックスなのである。

一度でいいからこのスターのお姿を拝見してみたいものだ。演奏する者と聴く者とがお互いに涙を流しながらハグしたりして。

ところで、ガトーも参加している『The Jazz Composer's Orchestra』(1968年)と共通するフレーズが聴こえる。同時期の活動である。

●参照(ガトー・バルビエリ)
ガトー・バルビエリの映像『Live from the Latin Quarter』
ザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ
ドン・チェリーの『Live at the Cafe Monmartre 1966』とESPサンプラー
スペイン市民戦争がいまにつながる


プロ野球助っ人外国人フィギュア

2012-10-09 01:10:19 | スポーツ

ジョージアの缶コーヒーに、おまけとして「プロ野球助っ人外国人フィギュア」が付いている(>> リンク)。懐かしさのあまり、精選して確保した。いい歳をして、コンビニのドリンク棚をごそごそしているのは見られた姿ではないのだが。

そういえば、最近は「助っ人」と呼ばないな。

 
オレステス・デストラーデ(西武ライオンズ)、ブーマー・ウェルズ(阪急ブレーブス時代)


ラルフ・ブライアント(近鉄バファローズ時代)

 
ウォーレン・クロマティ(読売ジャイアンツ)、ランディ・バース(阪神タイガース)

他にも、アニマル・レスリー(阪急ブレーブス)、ロバート・ローズ(横浜ベイスターズ時代)、アロンゾ・パウエル(中日ドラゴンズ)があるが、特に思い入れもないため見送った。

1990年の日本シリーズでは、清原を警戒するあまりにデストラーデに打たれ、ジャイアンツは4連敗を喫した(かなりのショックだった)。三振かホームランかのブライアントは、角盈男から打った東京ドームの天井直撃弾が凄まじかった。ブーマーは、ホークス時代、ホームランを打った門田博光をハイタッチして脱臼させた(関係ないか)。いやー、個性の塊みたいな連中で良いねえ。

このシリーズは、80年代から90年代くらいに活躍した選手が中心のようだ。それなら、松井秀喜を抑えてホームラン王を取ったドゥエイン・ホージー(ヤクルトスワローズ)、「ワニ男」ことラリー・パリッシュ(ヤクルトスワローズ、阪神タイガース)、メジャー黒船時代のボブ・ホーナー(ヤクルトスワローズ)やビル・ガリクソン(読売ジャイアンツ)、打席でも外野でもやたらくねくね動いていたロイド・モスビー(読売ジャイアンツ)、バットの先を投手に向けていたフリオ・フランコ(千葉ロッテマリーンズ)なんかも仲間に入れてほしかった。

第二弾切望。


馮小剛『戦場のレクイエム』

2012-10-08 23:55:35 | 中国・台湾

馮小剛(フォン・シャオガン)が、『女帝 [エンペラー]』(2006年)の次に撮った映画、『戦場のレクイエム』(2007年)を観る。しかし、前作でチャン・ツィイーを起用して派手なワイヤーアクションを展開したのとはまったく異なる趣向。

1948年、中国の国共内戦(淮海戦役)。主役のグーは人民解放軍の中隊長で、全滅覚悟の戦いを任される。撤退のラッパが聞こえるまでは、最後のひとりになろうとも国民党軍と戦え、と。部下のひとりがラッパを聞いたと言うが、自分には聞こえず戦闘を続け、部下は全員戦死する。(ところで、国民党軍の兵士のヘルメットや戦車には、青天白日のマークがあったんだな。)

戦いの功績を認められないまま、グーは朝鮮戦争に参加する。ここでは、地雷を踏んでしまった部下に代わり、自分が犠牲となって視力を失う。困っているときに米軍の戦車が通りがかり、「朝鮮語がわからない」が、米国人ならばと騙す場面は興味深い。本当に、当時から、北と南とでそんなに言葉が違ったのか?

淮海戦役で戦死した部下たちには、名誉が与えられていなかった。そして、連隊長が軍の総崩れを防ぐために敢えてラッパを吹かせなかったこと、その連隊長も何も言わずに亡くなり、彼らが戦った手がかりがなくなってしまったことを知り、グーは激怒する。そして奔走努力するグーのもとに、名誉回復の知らせが届く。朝鮮戦争で地雷から命を救ってやった男の計らいだった。

一見ヒューマニスティックな作品のようでありながら、どうにも後味が悪い。降伏した国民党軍の兵士を怒りのあまり射殺したグーに処せられた刑はわずか三日間の監禁であったこと。戦死した部下の妻を、本人の意向も訊かず他の男と結婚させる約束をすること(しかも、善意で、譲ってやると言わんばかりに)。そしてとりわけ、戦死という犠牲を、国家の論理に収束させた「名誉」として扱って疑わないこと。どこかで聞いたような話だ。

●参照
『大決戦 遼瀋戦役』(国共内戦)
『突破烏江』(国共内戦)
『三八線上』(朝鮮戦争への中国出兵)


2012年9月、ジャカルタ

2012-10-07 22:10:14 | 東南アジア

ジャカルタは自動車の渋滞がひどく、中心部はビルばかりで歩いている人はあまりいない。ショッピングセンターに入ると東京よりも立派で、ヘンなDVDか文房具でも買おうかというアテがはずれた。つまり散歩していてもあまり楽しくないのであって、必然的にスナップの意欲が薄れていく。

ただ、それは仕事で余裕がなく、真ん中しか知らないからだろうね。

カフェ・バダヴィアは、オランダ植民地時代の古い建物を改装したカフェレストランで、かなりオシャレだ。壁やトイレには古い写真や映画スターのピンナップがぎっしりと飾られている。メニューは柱の写真を外すと裏に書かれているという趣向。

観光客も多い。ひとり座っていた日本人女性(らしき人)は、坂口恭平『独立国家のつくりかた』を読んでいた。近くのテーブルで、英語と日本語をなにやら喋っていて、旅の興がそがれたかもしれない。申し訳ない(が、仕方がない)。

もうちょっと、周辺をうろうろしたかった。


ナシゴレン


壁に写真がぎっしり


観光客


高い天井の下でランチ

※写真はすべて、Pentax LX、FA28mmF2.8、Fuji Pro 400

●参照
2012年7月、インドネシアのN島(1) 漁、マングローブ、シダ
2012年7月、インドネシアのN島(2) 海辺
2012年7月、インドネシアのN島(3) 蟹の幾何学、通過儀礼
2012年7月、インドネシアのN島(4) 豚、干魚、鶏


金芝河のレコード『詩と唄と言葉』

2012-10-07 15:06:17 | 韓国・朝鮮

金芝河(キム・ジハ)が自らの詩を吹き込んだEPレコード、『詩と唄と言葉』が、手元にある。

A面では、かつて農村から身を売られていく女性を唄った「ソウルへの道」と、閉塞した想いや鬱屈した火花を唄ったのだろう「うつろな山」が、韓国語によって朗読されている。大江健三郎は、この「ソウルへの道」をそらんじていたという。

そしてB面には、死刑判決後、1975年に一時釈放されたときの日本人記者との対談が収録されている。

金芝河は、1961年に朴正熙政権が登場して以来、政権批判を行っていた。朴政権の弾圧は苛烈なもので、獄中生活は7年にも及んだ。その罪状は、このレコードでも述べられているように、「共産主義」だと決めつけられたことによった。当時の韓国では、「アカ」とされることは死を意味していたことを、多くの人が報告している。

このレコードがいま何の意味を持つのか。歴史を知ること、それは当然だ。それともうひとつ、人間活動としての政治という問題である。状況が異なるとはいえ、日本において、アートと政治とが手を結ぶことを邪道だとみなす底の浅さをも撃つものではないか。もちろんそれは、文学にはとどまらない。(安世鴻写真展をめぐるニコンサロン問題はその典型だ。)

「金芝河さんが行われている活動は、文学者としての活動なのか、政治的な活動なのか、その点を。」
「(略)私はこれに対して決定的な回答を得たように思います。監獄が私を助けた。
 この点で私は、朴正熙氏に感謝します。
 (略)
 私にとって政治と芸術とは折衷ではなく、始めから同じ問題であります。」

●参照
徐京植『ディアスポラ紀行』
T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』
四方田犬彦『ソウルの風景』
金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』
安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』第2弾、安世鴻×鄭南求×李康澤
新藤健一編『検証・ニコン慰安婦写真展中止事件』


『Interpretations of Monk』

2012-10-07 13:02:38 | アヴァンギャルド・ジャズ

改めて、『Interpretations of Monk』(DIW、1981年録音)を4枚通して聴いてみる。昔から欲しい欲しいと思っていて、昨年だったか、ようやく入手した。

Muhal Richard Abrams (p) <1>
Barry Harris (p) <2>
Anthony Davis (p) <3>
Mal Waldron (p) <4>
Don Cherry (tp)
Steve Lacy (ss)
Charlie Rouse (ts)
Roswell Rudd (tb)
Richard Davis (b)
Ed Blackwell (ds) <1, 2>
Ben Riley (ds) <3, 4>

これは、セロニアス・モンクが亡くなる前年に、ニューヨークで行われたコンサートを記録した作品である。

コンサートセットによって、モンク役のピアニストを入れ替えるという趣向で、それも、ムハール・リチャード・エイブラムス、バリー・ハリス、アンソニー・デイヴィス、マル・ウォルドロンと錚々たるピアニストばかり。フロントは、モンクの音楽に傾倒していたスティーヴ・レイシードン・チェリー、モンク後期のパートナーだったチャーリー・ラウズ、それにラズウェル・ラッドと申し分ない。ベース、ドラムスも好みだ。さらに、アミリ・バラカのポエトリー・リーディングまである。

各ソロイストの良い演奏には、ときどきはっとさせられる。しかし・・・、漫然と流して聴くことくらいしかできないのである。単に長いから、ではない。

要するに、権威を身にまとったジャズフェスティヴァルなのだ。ナット・ヘントフやスタンリー・クラウチなどによる前フリも、権威をさらに上塗りしている。企画ではなく、一騎当千の音楽家それぞれが思いを持って集まってそれを形にしていたなら、どんなによかっただろう。

とは言っても、今後も聴き続けるのではあるが。

●参照
ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク』
『失望』のモンク集
セロニアス・モンクの切手
ジョニー・グリフィンへのあこがれ
『セロニアス・モンク ストレート、ノー・チェイサー』
ジョルジォ・ガスリーニ『Gaslini Plays Monk』


張芸謀『HERO』、『紅夢』

2012-10-07 00:19:13 | 中国・台湾

張芸謀(チャン・イーモウ)の作品を2本続けて観た。『HERO』は中古500円コーナーにあった。また、『紅夢』は数年前に中国のどこかで20元くらい(約250円)で買ってそのまま積んでいた。

■ 『HERO』(2002年)

ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン、チャン・ツィイーという豪華俳優陣にまずは圧倒されるが、ワイヤーアクションの面白さにも目が釘付けになる。決闘シーンはやや不自然なのだが(ウルトラマンのように刀を持って飛んでいく)、何しろバカバカしくて良い。数千本もの矢が飛んでくる屋敷の前に待ち構えて、マギー・チャンとジェット・リーが凄まじい速度でそれらを叩き落していくなんて最高だ。

彼らは秦王(のちの始皇帝)への刺客であり、何とか近づいて亡き者にしようとする。しかし、戦乱の世を憂い、に中国を統一してもらうために、義侠心から殺すのをやめる。何のことはない、国造り物語だった。

本作が大ヒットしたために同路線の次作『LOVERS』(>> リンク)を撮ったのだろうね。張芸謀がこのようなハッタリ映画に狂っていてはいけない。いやいけないこともなくて面白いのだが、張芸謀のきめ細やかな演出が活きる映画のほうが嬉しい。

■ 『紅夢』(1991年)

主人公(コン・リー)は、富豪の第四夫人として嫁ぐ。そこは古いしきたりにがんじがらめになった牢獄のような家だった。狭い世界の中で、他の夫人や使用人との憎悪と嫉妬が渦巻く。

旧弊を体現するような固定したカメラ、女性だけに特化した視線。初期の張芸謀作品ながら、既に演出の天才ぶりは明らかだ。

ロケは、山西省の平遥(>> リンク)近くにある清時代の旧家で行われている。一度訪れたことがある場所だが、あれがこうなるのかと思うと、また行きたくなってくる。

●参照
張芸謀『初恋のきた道』(1999年)
張芸謀『LOVERS』(2004年)
張芸謀『単騎、千里を走る。』(2006年)
北京五輪開会式(張芸謀+蔡國強)(2008年)
平遥


国分良成編『中国は、いま』

2012-10-06 00:03:29 | 中国・台湾

国分良成編『中国は、いま』(岩波新書、2011年)を読む。さまざまな立場の15名による分析と提言をまとめたものである。

本書は、尖閣諸島中国漁船衝突事件(2010年9月)と、それに引き続いての中国のレアアース輸出差し止め、日本企業の社員拘束のあとにまとめられている。その後、今年2012年には日本政府による尖閣諸島の国有化を受けて、激しい反日デモが起きてさらなる衝撃を日本に与えたことは、周知の通りである。

これにより、日本人の中国への好感度は著しく下がり、多くの者がにわかナショナリストと化した。しかし、権力と市民とは別、政治と民間交流とは別。ほとんど感情と大メディアの報道のみによって動くことは、愚かの極みだ。それに、言説の差異や歴史を踏まえなければ、とてもまともな判断などできたものではない。自らの裡にある「中国」を頼りに判断することも危険だ。中国はいまなお激変している。

本書は、その意味では、中国を考えるきっかけのひとつとなるのかもしれない。習近平時代になれば、また新たな考察に触れなければならない。

いくつか気に止めておきたい指摘。

胡錦濤の対日協調外交は、党内の特殊利益集団の発言力(東シナ海のガス田共同開発などをめぐり)や、人民解放軍への配慮などにより、方針転換さざるを得なかった。2010年の日本への強硬姿勢は、党内における胡への攻撃と見ることもできる。
○胡は総書記を辞任しても2年間は軍事委員会に留任し、影響力を確保するだろう。ならば、胡は従来の平和的発展路線にとどまることができず、軍の要求する対外強硬路線に迎合せざるを得ない。
○政治指導者の任期が短くなった結果、党内運営には利害調整が重要となっている。
○対外強行姿勢の背景には、改革開放で拡大した極端な格差が存在する。農民や労働者は弱者として抑圧され、時に暴発する。将来のマグマは、安定した職を得られない大卒者集団である。
○富や権力は、党・政府の幹部や有力国有企業幹部などごく一部に集中している。これは、江沢民時代の方針転換の本質であった。
○大衆の抗議活動は頽廃化・大型化している。これにより政府に圧力をかける方法が、うまくいくものとして類型化している。
チベット族の55%がチベット自治区以外の地に住んでいるのに対し、ウイグル族の99%が新疆ウイグル自治区に住んでいる。従って、チベット騒乱は周辺地域に飛び火しやすい。ウイグル族は自治区内の漢族流入によるウイグル族比率の低下を問題視する。
○チベットの戒厳令は天安門事件の3ヶ月前に布告された。チベットやウイグルからくる危機感が、天安門事件で強硬な姿勢をもたらした可能性がある。
○一党独裁のもとで少数民族の民族自治を実現することは極めて困難。また、政府の重要課題はむしろマジョリティたる漢族の不満抑制である。
○レアアース問題は、漁船衝突事件の前から顕在化していた。この事件が起きなくても、いずれ火を噴いた可能性がある。
○「核心的利益」が増えるほど、また振りかざすほど、体制が安定していないことを示す。

●参照
汪暉『世界史のなかの中国』
加々美光行『中国の民族問題』
加々美光行『裸の共和国』
加々美光行『現代中国の黎明』 天安門事件前後の胡耀邦、趙紫陽、鄧小平、劉暁波
天児慧『巨龍の胎動』
天児慧『中国・アジア・日本』
『世界』の特集「巨大な隣人・中国とともに生きる」
『情況』の、「現代中国論」特集
堀江則雄『ユーラシア胎動』
L・ヤーコブソン+D・ノックス『中国の新しい対外政策』
加藤千洋『胡同の記憶』
クロード・B・ルヴァンソン『チベット』


カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』

2012-10-04 07:30:08 | アヴァンギャルド・ジャズ

カール・ベルガー+デイヴ・ホランド+エド・ブラックウェル『Crystal Fire』(Enja、1991年)。

Karl Berger (vib, p)
Dave Holland (b)
Ed Blackwell (ds)

こういうものが好きである。 とは言っても、カール・ベルガーの個性はいまひとつわからない。ブルース色の希薄な、尖った高音のフレーズが特徴的ではあるけれども。

むしろ、ずっとピンときていなかったデイヴ・ホランドの個性が嬉しい。硬く引き締まった弦で、彼は内部からぐいぐいと音楽を駆り、その力で音楽という獣が運動していく。まるで、じっとしておらず早く動けと言わんばかりに、内臓側から皮膚をあっちこっちと突いているようなものだ。イメージは北斗琉拳である(違う?)。いままで、さほど好みでなかったベーシストだが、突然、魅力を覚えてしまった。これだから面白い。

エド・ブラックウェルの祝祭的なタイコはいつだって素晴らしい。

●参照
エリック・ドルフィー『At the Five Spot』の第2集(エド・ブラックウェル参加)
シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(エド・ブラックウェル参加)
ゲイリー・トーマス『While the Gate is Open』(デイヴ・ホランド参加)
ジョン・サーマン『Unissued Sessions 1969』(デイヴ・ホランド参加)